I他者との直接性における關係交渉よりの離脱、自然的生における沒頭・拘束・緊張よりの解放、を意味する。もと主體は獨立の中心を有しその中心よりして生きる存在者である。それの本質即ち主體性は實在性において成立ち自己主張として働く。かくの如き實在者としての主體が、等しく實在する他者にひたと行きあひ正面より衝突しまつしぐらに自己の貫徹擴張へと突進する以上、究極は他を滅ぼし自らも滅びる外に途はないであらう。主體の存在は他者への存在であり、他者との關係交渉を離れて主體性は成立ち得ぬが、自然的生における限り、他者への存在は徹底すれば實は事志に反して却つてむしろ自滅的存在となるのである。この難關を克服し他者の壓迫侵害より解放されて自由の天地に飽くまでも自己主張を續けようとする所に文化的生の本質は存する。それ故吾々の現實的生はいかに原始的であり幼稚であり低級である場合にせよ、存立を保つ限り、すでに何等かの程度何らかの形において文化を含んでゐる。自然的生は根源へ遡る理論的分析によつてはじめて到達され開示される基本的契機に外ならず、決して事實上單獨に存在するものではないのである。
文化的生における主體の解放
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