常生活もこれによつてはじめて成立ち得るのである。しかしながら今まで論じ來つた諸段階においては、生の象徴性は不徹底であつた。自然的生においては、それはわづかに壞滅を免れしめる程度のものであり、未だ共同を成立たしめるには至らなかつた。文化的生においては、共同は、他者性が象徴性を離れて自己表現を意味する限りにおいて、觀念的他者との間においてのみ成立つたのであり、從つて實在的他者との間においてはわづかに間接的にのみ成立つたのである。生の象徴性は、自然的生が基體をなす限りにおいてのみ、保たれたのである。しかるに自然的生の徹底化はむしろ自己壞滅從つて象徴性の破棄に存する外はない。それ故、自然的生從つて時間性の危機より救ふものは逆に象徴性の徹底化でなければならぬであらう。
 吾々はかくの如き徹底的象徴性を神の愛・創造の惠みにおいて見る。さて、象徴性の最も手近かな又身近かな實例、あらゆる人倫的交渉の最も基本的根源的形態、あらゆる象徴性の理解の基準となるべき典型的體驗、は言葉である。「言葉」は人倫的交渉を媒介する固定したる客體的形象即ち符徴記號そのものの意義にも用ゐられるが、これはむしろ派生的意義であつ
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