てはすべての理論的形而上學と同樣に世界創造の思想が甚だ貧弱な根據しか有せぬことは今更ら取立てて言ふまでもない。
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三七
創造において人間的主體は神の愛を體驗する。我にとつて絶對的他者である神は、しかも我に近寄り接觸し、否、我の存在の最深最奧の中心にまで入込んで、我を根本より改造する。接近を嚴禁する神は、いはば自らその禁を犯し自己を抛棄して、他者との滅びぬ共同を設置する。この共同は何ものか又何事かによつて媒介されるのでなく、何等かの理由や目的によつて制約されるのでもなく、自己目的であり無條件的である。共同は共同のために共同によつて成立つのである。この共同の設置こそ創造である。人はこれを理解しようとして、これをいくつかの要素又は契機に分析しそれらの間の聯關や秩序を説くであらう。しかしながら、前にも述べた如く、かくの如きは、あらゆる時間性を超越した神の動作を時間性の制約の下に立つ人間的文化的生の型に嵌めて表象するのであつて、吾々はこれによつて恰も神の本質の客觀的理論的認識に達し得るかの如き錯覺に陷るを常に警戒せねばならぬ。すなはち吾々は合理主義の
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