へと押出され陷入れられたのである。ここでは有は無に先行した。そのことは有は無に歸し自己に留まり得ぬことを意味した。しかるに今や創造は事の順序を全く顛倒することによつて主體を壞滅より救ふのである。無を外にではなくはじめより内に有する主體のみ自然的生と從つて時間性とを克服して眞實の愛に生き得るのである。
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(一) パウロ、ロマ書四ノ一七。邦語譯に「無きものを有るものの如く呼びたまふ」とあるは少なくも不穩當である。原語の”〔kalountos ta me_ onta ho_s onta〕“において 〔ho_s onta〕 は古代の解釋家もすでに説いた如く 〔ho_ste einai〕 の意に、即ち「無より有を呼び出す」の意に解すべきである。かかる語法が古典ギリシア語においてもすでに存在したことは、いづれの文法書にも記されてゐる事柄である。――アウグスティヌスについては特に Confessiones. XII, 7 參看。――パウロにおいて「無よりの創造」が宇宙論的觀點よりではなく、神の愛の宗教的體驗の觀點よりして解されてゐることは特に注目に値ひする。
(二) 哲學におい
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