體にとつて存在そのものに必要である。愛が成立つことによつてのみ、それは他者への又他者との存在としてのそれの本然の性、主體性、に生きることが出來るのである。自然的生を超越して文化的生に昇り、エロースにおいてこの要求を充たさうとした主體は、つひに失敗にをはらねばならなかつた。しかるに今や最後の試みである宗教への飛躍も同樣の危險に晒されることが明かになつた。この場合難關の突破は全く主體の權限と能力とを超越する事柄である。若し可能とすれば、その可能性は全く他者の側にのみ存するであらう。このことは何を意味するか。神聖なる他者は、神聖なるとともに、否神聖なるが故に、また愛であること愛の主體であることを意味する。すなはち、神の愛が人の愛に先だつこと、後者の根源としてそれをはじめて可能ならしめるものであることを意味する。
神聖者は上述の如く絶對的實在者である。從つてそれ以外に存在はあらう筈がない。若しあるとすれば、それは絶對者そのものに過ぎぬであらう。しかるに單獨に自己のみに生き自同性にのみ留まる絶對者は、無限に擴がつた圓周の圓心が中心たるを止めておのづから消滅に歸するが如く、結局空虚そのものにをは
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