の意味においてのみアガペーの實現形態となり得る。
(三) Eth. Nic. IX, 8.
(四) アウグスティヌスに關しては「宗教哲學」三九節、及びその後に現はれた Nygren 第二卷の卓れたる敍述及び解釋、參看。
(五) 「人格」に關しては「宗教哲學」二九節以下參看。
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      二 神聖性 創造 惠み

        三五

 アガペーの本質的特徴が以上の如くであるとすれば、ここに極めて重要なる歸結が現はれて來る。それは、アガペーにおいて共同の對手として立つ他者は可能的自己の性格を保つこと無き眞實の他者でなければならぬ、といふことである。しからば、それがエロースにおいての如く觀念的存在者であり得ぬこと、むしろ反對に、實在的存在者でなければならぬことは、おのづから明かであらう。しかるに今までに知り得た實在的他者は、主體と自然的直接的交渉において立つ自然的實在者の外にはなかつた。若しそこへ立戻るとすれば、そのことは文化的生によつて試みられた共同のためのあらゆる努力の無意味と、しかして生の原始的自己爭鬪の有意味とを、宣言するに等しいであらう。生がここに最
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