は絶え間なく滅び行く現在なのである。文化的生が自然的生の土臺の上に立つ以上、愛も後者の性格によつて制約されるを免れぬ。自然的生において發見されたる主體性の二重性格は、形を變へて文化的生にも入込み、生の根本の蟲食み自己矛盾に倒れしめる。愛も主體の自己實現として活動の性格を擔はねばならぬ(二)。しかるに活動は自己性と他者性との兩契機の必然的竝立と從つて兩者間の必然的緊張とに基づく。客體にとつては、主體に對して他者であることが本質的であるが、又自己實現自己表現の意味と任務とを有するものとして、主體の自己性に屬することが同樣に本質的である。一方のみの徹底はいづれも生の破壞にをはらねばならぬであらう。他者性のみ徹底すれば、生は自然的直接性に逆轉する外はない。共同は全く影をひそめねばならぬであらう。之に反して自己性のみ徹底すれば、自己を實現し盡した主體は生の中心を失ひ、生の源の枯れ果てることによつて、他の觀點より言ひ換へれば、他者を餘す所なく併呑しもはや働きかけるべき何ものをも對手として有せぬことによつて、自ら自滅の墓穴を掘るであらう。自己性と他者性との間の不一致は活動としての生を可能ならしめるが
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