も第二の自己である(一)。愛において主體は、わが生わが自己が近きもの狹きもの小なるものより出で、いかに遠きもの廣きもの大なるものをも恐れずに伸び行き擴がり行き、つひには全き世界一切の存在をも支配の鵬翼の下に收めるに至るを知るであらう。かくて根源的空間性即ち自と他とを隔てる外面性は全く克服されるやうに見える。しからば時間性はどうであらうか。もはや繰返へすを要せぬ如く、文化的生の主體即ち自我はいつも現在において生きる。それの時間的性格は現在である。ここでは現在は過去をも將來をも單なる内容として部分としてわがうちに包括する。それ故エロースにとつても嚴密には現在があるのみである。愛せられるものの過去も將來も今現に有るもののやうに愛する我の關心を呼ぶ。いかに遠き昔もいかに遙かなる後の世も愛の感激を斥けぬ。愛の幸福は來つて加はるであらう何ものをも又缺けて去り行くであらう何ものをも知らぬ。愛はいつも一切を所有する。愛の歡喜に充たされるならば一瞬時も全き永遠そのものである。
 しかしながらこれが砂上の樓閣に過ぎぬことは、文化的時間性について論じた所によつてすでに明かであらう。一切を支へる全能の現在は實
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