向であるとさへいひ得るであらう。さて吾々人間にとつて「ある」は「生きる」であり、生きるは自己主張である。しかも他方においてこの生は他者への生であり、他者との交はりにおいてのみ成立する。人間的存在の全體を支へる根源的生においては主體の對手として向うに立つ他者は實在的他者であり、それとの間柄は直接性である。この自然的生の本質的性格をなすのが時間性である。從つて時間性の克服は生のこの自然性の克服でなければならぬ。問題は、交はりにおいてある他者とそれとの間柄と、これら相聯關する二つの事柄の性格如何に關はる。これら二つと聯關して主體そのものの性格も亦定まる。文化的生は、主體の自己主張並びにそれの直接性はそのままに留保し、ただ他者の性格を變更することによつて向上と自由とを、又從つて時間性よりの離脱を企圖した。この向上の道を絶頂まで登り詰めた哲學においては、無時間的性格を許され得る他者、純粹形相・純粹客體、との交はりさへ實現されて、離脱の努力は成功をもつて報いられたかのやうにさへ思はれた。しかしながら一切の努力は結局失敗にをはらねばならなかつた。文化的生においては、他者は、可能的自己としてそれ自らの
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