中心從つて實在性を缺き、主體の自己實現の契機をなすを本質としたが、それだけに、主體の生存の基ゐであり源である自然的生即ち實在的他者との交はり、並びにその源より發する時の流れに對しては、手を拱いてそれのなすがままに身を任かせるより外に途がなかつた。それ故時間性の克服は、生の部分的彌縫的改修の企てが擲たれて、根本的全面的革新が成就されるに及んではじめて可能となるであらう。すなはち、實在的他者との全く新たなる交はりが成立ち、かくして他者も主體も全く面目を新たにする處においてのみ、永遠性の確立は望み得べきであらう。「愛」こそかくの如く全く更新される生の姿である。吾々は文化の境を越えて宗教の領土に進み入らねばならぬ(一)。
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(一) 以下の論述に關しては「宗教哲學」三七節以下參看。
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三二
愛は主體の他者との生の共同である。主體は生きるもの自己を主張するものである故、愛はかかる共同を成立たしめ乃至維持する努力と動作とを包含する。共同は活きた關係であり、靜止と固定とを許さない。又それは單なる接觸でもなければ、ましてや衝突ではない。
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