いて、又主體の時間性を率直に承認してゐる點において、典型的意義を有する卓越した業績である。
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二九
時間性を限界より遠ざけようとする努力は歡喜と慰安とをもつて報いられるであらうが、結局一時凌ぎかりそめの氣安めに過ぎぬ。客體が自己實現の質料的契機として主體のうちに取入れられ處理に委ねられるべきである限り、時間性の克服は望み得べきでない。取るべき途は客體の獨立性從つて他者性を強化するより外にない。すでに論じた如く(一)、客觀的實在世界もこの途を取つた。そこでは客體は實在的他者・自然的實在者に歸屬せしめられた。しかしながら純粹客體の場合にはこの途ははじめより塞がれてゐる。自然的實在性を二段の反省によつて超越した純粹なる高次的客體には、そこへの復歸ははじめより拒まれてゐる。それ故哲學は觀念的存在者そのものに實在性を付與しそれを直接に高次的實在者の位に据ゑる外はない。これ即ち形而上學である(二)。形而上學には大體において二種の類型の存することはすでに論じた通りである。内在的形而上學は客觀的認識をさらにそれの原理へと、客觀的實在世界をさらにそれの根源の
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