onto_s on〕 又は ousia と呼んだもの――である故、それの觀想と理解とに力を集中することによつて、生の自己理解は高められ深められるのである(三)。然しながらそのことは畢竟一定の目的を成遂げる有效適切なる手段として、不用なるもの妨碍となるであらうものを一應片附けること目前より遠ざけること差當り忘却することであるを、吾々は忘れてはならぬ。純粹の形相の世界本質の世界に入らうとするものは、活動性と時間性とを示唆し意味するであらうあらゆる規定を戸口に置き棄て置き忘れねばならぬ。すべての學問が或る程度しかある如く、哲學は特に勝れたる徹底的なる意義におけるかくの如き忘却術である。それはおのが任務に忠實なるためには、わが家としての時及び時間性を忘れわが行くへの死をも眼より遠ざけねばならぬ。しかしながら忘れること見ぬことは決して無くなすことでも打勝つことでもない。主體の時間性は儼として存續し依然その暴威を揮ふ。「我を忘れて」永遠の眞理の觀想に沈潛した自我が再び「我に歸つた」時、はたして時の流れに押流されて溺死を強ひられる自己を見出さずにゐられるであらうか。
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