異と部分とを包括し支配し吸收しようとする。哲學はこの傾向の貫徹を計るもの乃至貫徹そのものを以つて自ら任ずるものに外ならぬ。萬能を誇り純粹客體以外何ものの存在をも認めぬといふやうな狂氣じみた幻覺に耽らぬ以上――かくの如き幻覺が若し事實として存在したならばそれは文字通りの狂氣であらうが――哲學はそれの志向を充たすために客體の世界において存在の區分と選擇とを行はねばならぬ。プラトンの二種類の存在(〔duo eide_ to_n onto_n〕)の説はこのことの最も獨創的典型的なる又影響最も大いなる實例である。しかしてそのことは、自然的生より文化的生に昇る際に行はれた反省の働きを更に徹底させ、第二段の高次的反省によつて自己性形相性を意味する内容を切離して遊離せしめ、獨立的優越的なるものとして固定することによつて行はれる。それ故文化的生の全體といふ觀點よりみれば、哲學は主體の自己實現の一契機を一時的に特に抽き出し、それのみに注意を集中し他を忘れるものに外ならぬ。抽き出される自己性の契機は生に形相を與へそれの性格を決定するもの、即ちそれの有り方の眞の姿、それの眞の存在、それの本質――プラトンが 〔
前へ 次へ
全280ページ中141ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング