ゆる「今」の喪失に過ぎないであらう(二)。
それ故主體は依然活動者として留まらねばならぬ。しかるに活動においては他者性は自己性と共にそれの成立の缺くべからざる契機をなす。根源的なのは客體そのものの他者性である。客體性に本質的に具はるこの他者性は客體相互の聯關における他者性として表現される。自己性の表現である聯關が一と他との關係としてのみ成立ち、更に立入つては、自己性を代表する形象乃至領域と他者性を代表するそれとの、從つて又働きかけるものと働きかけられるものとの關係として成立つのは、皆客體性に固有する他者性の致す所である。更に根源まで遡れば實在的他者性に到達せねばならぬであらうが、そのことは今ここでの問題ではない。さて活動としての觀想はこの他者性に打勝ち自己性を貫徹しようとする。そのことは客體内容において質料的のものを輕んじ形相的のものを重んずることにおいて現はれる。これは立入つていへば聯關の強化と自己性能動性を代表する内容の純化及び強化とである。例へば、聯關は因果的より論理的へ進み、原因は理由と化し、つひには一切は原理となり乃至は原理のうちに融け入り、又統一と全體とは次第にあらゆる差
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