「。さて哲學が自己を超えて更に高きを示す生の展望に達することなく、文化的生の最高段階としての自己の地位に安らかに留まらうとする時は、「永遠」の觀念のかくの如き理解は本質上必然的なるものとなるのである。すでに論じた如く、客體面において自己性と他者性とを代表する二種類の形象乃至領域の間の聯關が存在する間は、活動の性格はなほ殘留し、從つて純粹の觀想、即ち觀想の本質の要求する通りの事態はなほ實現を見ない。高次の反省の立場に立つて、自己性及び形相の位置に立つ客體内容を、他者性及び質料の位置に立つものより引離し、獨立性と優越性とを付與しつつ固定するのが哲學である。哲學によつて純粹の觀想は實現を見、純粹形相・高次的客體は成立つのである。時間性の觀點よりみられたるかくの如き高次的純粹客體の擔ふ性格こそ、「無時間性」(Zeitlosigkeit)の意味における永遠性に外ならぬ。
無時間性の思想そのものはすでにパルメニデスにおいても現はれてゐるが、無時間性を特徴として持つ高次的客體の存在の性格と意義とを根本的に究明し、かくて哲學にそれ固有の對象を與へるとともに、永遠性の理解に對して眞に創造的貢獻を示した
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