メ性との兩契機を代表する二つの領域が區別されつつ併び存し、兩者の聯關において活動が成立つより來るのである。然らば今活動としての性格の克服は何を意味するであらうか。それは過去と將來とを包括する内部的構造の崩壞を意味するであらう。言ひ換へれば、觀想の時間的性格は純粹の現在、過去をも將來をも知らぬ單純なる「今」でなければならぬであらう。そこでは「あつた」とか「あらう」とかいふやうなことは全く無く、ただ「ある」といふことのみあるであらう。純粹の現在はまた純粹の存在、内にも外にも非存在をもたぬ絶對的存在であるであらう。
 これこそ昔より哲學が「永遠」と呼び來つたものに外ならぬ(二)。パルメニデスにおいては永遠といふ名こそないが、思想そのものはすでに明瞭にあらはれてゐる。その語をはじめて用ゐたのは多分プラトンであらう。プロティノスはこれらの人々の築いた基礎の上に立つて周知なる概念的規定を試みた。かれの思想はプロクロス、アウグスティヌス、ボエティウス、トマス・アクィナスなどを通じて中世以來の思想を全面的に支配してゐる(三)。かれ以後今日に至るまで眞に新しと見るべき思想は未だ現はれぬといつても過言でな
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