かにして時間性を又死を克服し永遠性を體得するかである。所謂靈魂の不死性はこの問題と聯關し乃至それによつて包括される限りにおいてのみ考慮に値ひするに過ぎぬであらう。かかる事情の下においては、吾々は古きたふとげなる傳統には敬意を表しつつも、この觀念この名稱をむしろ哲學的原理的論究より遠ざけるに如くはないであらう。
 原始民族の間において死に關心が向けられる限りそれは存在の・生の・特殊の形態を意味したことはすでに述べた。不死性の觀念はここに胚芽としてはすでに存在するが、未だ明かに成熟したる形において現はれてゐない。死後存續する靈も場合によつては、例へば生存者の祭祀の絶えた時などは、いつしか消え失せることは可能である。死の根源である時間性の原理的克服が、何等かの形においてすでに存在する處にのみ、不死性の觀念は有意味に成立つのである。そのことは客觀的時間性においてすでに見られる。これは文化的時間性の一變種ではあるが、文化的生本來の性格をなす活動において主體性が特殊の形象乃至領域として客體面に顯はになつてゐるのと異なつて、ここでは、成功不成功は別として、すでに原理的に主體よりの離脱の試みがなされて
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