に對して抱く關心は可能にせられ、又哲學的理解の事柄となり得たのである。しかしながらオルフィク教の影響は、文化的生の偏重を意味するかれ自らの觀念主義と相俟つて、魂ひと身體とをあまりに相隔たらしめ、その事の歸結として、死及び死後の生を、全き人間ではなく單に一部分に過ぎぬ魂ひにのみ關する事柄にをはらしめた。死を主として客觀的世界の出來事と看做す原始人以來の客觀主義は、死を魂ひと身體との分離として理解せしめることにより、この傾向を助長した。プラトン以後魂ひは極めて豐富なる理解の歴史を經たが、それの基本的意義は大體かれに至るまでの發展において盡されて居り、多くの場合、殊に學問的考察においては、それは殆ど「心」又は「精神」の同義語として用ゐられる。すなはち、それは一方死者であるとともに他方生を司る力乃至生の主體であり、しかしてかくの如く生との聯關において見られる時、それは人間の最も肝要なる部分をなすに相違ないが、全き人間を意味せぬことがそれの本質的特徴である。この特徴は、語義の複雜曖昧によつてすでに惹起された、それの學問的用語としての價値に對する疑念を、更に深める。吾々の論究の題目は、人間主體がい
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