た人々の吉凶禍福に及ぼす影響の觀點よりして死後の存在は考察される。生者にとつては自己の死後の運命よりも、死者即ち他の者の魂ひに對して自己の取るべき態度が問題なのである。さて魂ひが生者の生と結び附き生の力生の原理といふ意義を持つに至つたのは、多分イオニアの哲學者においてであらう。これは畢竟ホメロスの「テュモス」を學問の立場より「プシュケー」と呼び替へただけに過ぎぬやうではあるが、死後の存在を呼ぶ名が生を司るものに與へられるに至つたことは、思想史上意義深き出來事である。ソクラテスにおいて、魂ひの司る生が、智慧や眞理や善惡や正不正などを主なる内容乃至關心事とするものとなつたのは、更に一段の進歩である。すなはち魂ひは文化的生の主體を意味するに至つたのである。しかしながら、文化意識の發揚をわが天職と信じた彼が死後の運命について多くを語らず多く心を勞しなかつたことも、文化的時間性の本質を思へば、當然といふべきであらう。ここに必要なる最後の一歩を踏出したのは周知の如くプラトンであるが、かれをそこまで進み得しめたものはオルフィク教の影響であつた。この宗教團體においては自己の死後の運命が關心の中心に置か
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