〕)と呼ばれ居るものは、かくの如き靈又は魂ひなのである。これは死者その人であつて、生前かれの一部分をなした何ものかが離れ出たといふが如きものではない。人間が生きてゐる間生命を司るいはば生命力ともいふべきものがなほその外にある。ホメロスではこれは「テュモス」(thumos)と呼ばれてゐるが、一般に血液又は呼吸と結び附けられ乃至同一と考へられる。これは死と共に消え失せ乃至いづこへか去つて、もはやその人とは從つて靈魂とも無關係である。魂ひをして生前の生に關與せしめぬことが原始的思想の特徴である。かかる立場においては、現に生きてゐる生の主體が、自らの死について乃至死後の運命について深き内面的省察をなすは縁近きことである。死は客觀的出來事として取扱はれる。尤もこの客觀的出來事はわが身にも振りかかつて來る故、死後の存在は生者の關心を呼ぶであらう。死後の國の王であるよりは貧しき人の地を耕す賤の男でありたい(三)、と叫んだアキレスの如く、死後の存在に、たとひ消極的意義においてにせよ、思ひを向けることは常に行はれる事であらう。しかしながら、自己の運命よりも、むしろ專ら他の人々との關係、言ひ換へれば、殘つ
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