ものを、なし得べくは、生におけるそれの源まで遡つて究め、かくてそれの眞の姿を明かにすることによつて、またそれの正しき理解を得るを目的とせねばならぬ。吾々は勿論批判を試みるであらう。しかしながら、その批判は理解としてのそれ、言ひ換へれば、事柄そのものより、即ちこの場合不死性そのものの本質より、それの本來志向する所意味する所より、する批判でなければならぬであらう。

        二二

「靈」及び「魂ひ」乃至それらに該當する語は、通俗的には今日まで多くの場合死と聯關して用ゐられる(一)。原始民族の間に行はれる思想によれば、人間の死後なほ生殘るものは人間そのものであつて人間の一部分ではないことは、すでに述べた如くである。それは死骸そのものであるか、或は死骸の傍ら別の存在を保ちつつしかも結局何等かの意味において死骸と同一なるその人自身である(二)。死骸と區別されるやうになつても――これは火葬の場合特に明かに行はれることであるが――靈又は魂ひはいつも全きその人である。今最も豐かなる將來によつて惠まれ殆ど典型的發展を遂げたギリシア人について觀れば、ホメロスの詩に「プシュケー」(〔Psukhe_
前へ 次へ
全280ページ中103ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング