能性と現實性、質料と形相との二つの契機二つの面より成立つ。客體の成立にいづれ一つをも缺き難きこれら二者の間に存する聯關乃至緊張こそ文化的生の眞相である。言ひ換へれば、客體の世界はいづこにも兩契機の共存を示すが、客體そのもの從つてそれの構成要素である兩者そのものは等しく自己の表現である故、兩者は更に分離乃至對立する客體として顯はとならねばならぬ。かくて客體の世界は、主體の自己實現の動作にとつては、各の契機がそれぞれ優勢を占める二つの形象乃至領域より成立つこととなる。かくの如き二つの客體領域の聯關として主體の自己實現は行はれるのである。言葉を換へて説明すれば、すでに前に述べた如く、客體は主體の自己表現であるが、その自己は客體内容の聯關としてのみ顯はなのである。客體と客體との聯關を離れて主體の自己性は捉へらるべくもない。今假りに聯關が姿を消し單一なる内容のみ殘つたとすれば二つの契機は同時に消されねばならぬであらう。しかもこのことは客體一般の消滅從つて主體の自己性そのものの消滅を意味するであらう。自己性と他者性との二つが客體の契機である以上、いづれも客體としての存在を保たねばならず、從つて兩者は一と他との間柄に立ちつつしかも相聯關する、相異なつた客體内容として顯はにならねばならぬ。更に言ひ換へれば、客體の世界が成立つためには、各自二つの對立する契機より成る客體内容が他方更に相互に聯關において立たねばならぬ。しかるにその聯關そのものは客體的存在を保つものとして更に二つの契機より成ることを、言ひ換へれば、それらの内容が自己性と他者性との相異なつた意味と任務とを擔ふ、相聯關する二つの領域として相分離相對立するを要求する。かくの如き聯關において又それを通じて自己實現は行はれる。以上は更に簡單に次の如く言ひ換へることが出來よう。客體に對して立ちそれにおいて自己を實現するものは隱れたる中心に立つ主體である。その主體が客體へと働きかけることにそれの自己實現は存する。しかもこの自己實現は、文化的動作として成立つためには、それ自らとして顯はにならねばならぬ。すなはち主體は客體となることによつてはじめて客體に働きかけるのである。從つてそれの自己實現はそれぞれ内容と意味とを異にする二つの客體、一つは自己性の位置に他は他者性の位置に立つ二つの客體、の間の聯關として成立たねばならぬ。さてかくの如き聯
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