の前提であり根源である。囘想は二樣の、即ち經驗的と先驗的との二樣の形において客體内容の意味聯關の制約である故、吾々が經驗的に客體内容の聯關において又それを通じて主體の自己性從つて同一性を把握しうるのは、一切の根源に先驗的と名づくべき同一性が濳みながら存在するからである。この主體性こそ過去の無を克服して現在の有となし、かくて又自然的生と文化的生との從つて體驗と反省との内面的聯關を可能ならしめるのである。ここに吾々はすでに神の主體的同一性と創造的動作との朧げなる啓示を見るであらう。その啓示は更に自然的文化的生の主體と愛の主體との同一性において一層顯はとなる。吾々は時間的生を生きながらすでに永遠の光を反映しうるのは、愛の主體としての神の同一性、神の眞實《まこと》によるのである。死は時間的生の主體の壞滅を意味する。生はここに決定的段階に達する。しかもその壞滅より無の眞中より新たに永遠の生に生れる主體はすでに死したる主體と同一なのである。この世における存在の保存がすでに創造であり惠みであつた。ましてや彼方の世に新たに生れる主體の同一性は惠みの最も深き最も大なる發動でなければならぬ。かくの如き神の眞實《まこと》に答へる人の眞實《まこと》が愛である。その愛がこの世の曇りに光を失ひつつしかも信頼として現在に輝くのが信仰、期待として行くへを照すのが希望である。人格の同一性は主體が本來無造作に所有する性質又は資格ではなく、この世においては、人間の側よりみれば、ただ渾身の努力をもつてわづかに接近しうる理想である。しかもその努力その理想そのものがすでに神の惠みの賜物なのである。
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(一) キリスト教においては、中世以來ギリシア哲學の影響のもとに本文の二つの觀念は混同され、學者は靈魂不死性の論證をさながらに踏襲することによつてキリスト教的信仰の確保を計つた。兩者の根本的相違に學者が氣附いたのはやつと近時の事である。次の諸書參看。C. Stange: Unsterblichkeit der Seele (1925) . S. 121 ff. ―― Ders.: Das Ende aller Dinge (1930) . S. 122 ff. ―― P. Althaus: Die letzten Dinge4[#「4」は上付き小文字] (1933) . S. 110 ff.
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