rativ)と名づけ、無制約的當爲性を強調した、人格尊重の義務の法則はかかる媒介者の最も顯著なる一例であらう。しかしながら、かくの如くはじめより普遍的當爲性を有するものばかりではない。人倫的共同の種々の特殊の具體的形態の背後にあつてそれを制約し規定し促進し支持する、しかして多くの場合むしろ事實的勢力として主體を支配する諸の法則や秩序も、かくの如き建設的意義を有する限り、神聖なる愛の光を浴びて、一方侵すべからざる權威を發揮するとともに、他方恩として惠みとして仰がれるであらう。アガペーが抽象的なる人間性や人類などの如きものを對象とするが如く考へるは甚しき誤解である。この世においては具體的の人倫關係、特殊の人の道を離れてアガペーはあり得ないのである。アガペーそのものへ乃至信仰への努力を存在理由とする諸種の共同體も、特殊の人倫關係の内部において乃至それと並んで從つて同樣に特殊性を有する人倫關係としてのみ、愛の實現の地盤でありうるであらう。永遠的愛の獨占はいかなる共同體にも許すべきでない。尤もこのことは、現實に存在するいかなる共同體にも又それのいかなる事實的内容にも、平等の權利や價値を認めるといふことではない。愛は本質上永遠的なるものとして飽くまでも超越性を保ち、從つて時間的現實に對しては當爲の源となり又批判の規範を提供する。
人格の神聖性と聯關して主體の態度に更に一大變革が行はれる。純粹のエロースは價値ある對象へと向ふ。自己實現を目的とするものとしてそれはこれを促進する制約として他者を求める。それが他者を悦ぶのは結局他者において自己を悦ばんがためである。之に反してアガペーは他者本位であり他者を基準とする。それはいつも對手において神聖なる實在者、神の惠みによつて創造されたる人格を見る。信仰によつてのみ把握される他者のこの眞の姿は、この世の性格によつていかに歪められ醜くされようと、愛は飽くまでそれ本來の態度を固守する。この態度の顯著なる現はれは例へば敵に對する愛において見られるであらう。永遠の世においては敵は無い。他者は神聖者の象徴となつて自ら愛の主體であるであらう。しかるにこの世の性格は、第一に愛を一方的ならしめ、第二にあらゆる價値的自己實現的考慮を無視して自己に反對するものにさへ向はしめるのである。次に、永遠の世においては實在者は純粹の共同完全なる和合において滅びぬ完成さ
前へ
次へ
全140ページ中113ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング