示の間に根源的と派生的との又その他重要性の相違の現はれる場合もあらう。いづれにせよ啓示は――尤も本質に必ずしも副はぬやうな諸現象は事實としては到る處に見られるが――永遠性と時間性との間に勢力範圍を適宜に割當てることによつて協定を結び妥協を遂げるやうなものではなく、例へば半ば神半ば人であるやうな對象を押立てるやうなものではなく、兩極にそれぞれの完全なる支配を許すものである。時間的存在も永遠的存在も飽くまでも各自の性格を維持乃至主張する。從つて啓示の任務に當る對象は一方において永遠者神聖者を本質的に顯はにするものでありながら、他方においては反對に本質的に隱すものである。要するに、時間性とそれの領域に屬するものとが、完全に克服されずにそのままに保存される點に、啓示の本質的特徴は存する。このことはそれが暫有的なる事態であり、究極的なるものはなほ更に求めらるべきであるを示唆する。
神の愛としての啓示に對する人の側の答が、すでに述べた如く、「信仰」である。すなはちそれは人の神への愛に外ならぬ。啓示の多義性兩面性に應じてそれも反對の傾向を從屬的契機として必ず含有する。それは從順・信頼・感謝等でありながら、未だ克服し切れぬ契機としてそれらの反對を、少くも反對の可能性を内に含む。それは完成されたる愛の如く對象の完全なる失ふことなき所有による歡喜に留まることは出來ない。それはいつも足らざるもの缺けたるものをもつてゐる。それは一面憧れでありエロースの性格を擔ふ。眞の愛の如く直接的でありながら又他方媒介をも必要とする。從つてそれは決心・決斷・選擇等の契機をも含む。確實性である傍ら又他方不確實性疑惑の危險をも宿す。すなはち、それの確實性は直觀的でありながら、しかも理由づけ根據づけ關係づけの上に立つ。このことはそれに信念としての性格をも與へる。かくてそれは實在者との共同として實踐的でありながら、しかも同時に一定の表象一定の思想の把握として理論的でもある。かくの如き構造を有する故、神への純粹の愛や神を見る働きなどに比べては、神を信ずる働きは暫有的前階的意義しか有せぬであらう。それにも拘らず、信仰は、それの最深最奧の本質においては、愛そのものであり、全き自己とあらゆる存在とを提げて神の惠みに委ねつつ、ただ神よりして神において神へと生きることである。
啓示の徹底的なる、しかもそれにも拘らず、多義
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