. S. 406.
(二) Theaitetos 176 b においては哲學の效果として「神に類似すること」が擧げられてゐる。「パイドン」の靈魂不死性の思想については後の論述參看。―― Plotinos. IV, 7, 10; III, 7, 5. ――スピノーザの scientia intuitiva 及び amor dei intellectualis の説。――〔Fichte: Anweisung zum seligen Leben. V, 487 f.; Grundzu:ge des gegenwa:rtigen Zeitalters. VII, 235 f.〕(ここでは特に明瞭に言ひ表はされてゐる)。――ヘーゲルにおいては、主體は永遠の世界に入りそこの住民とはなるが、それは主體性の觀念として即ち純粹客體としてである。かれの觀念主義は甚だ徹底したものである。
(三) 〔Reden u:ber die Religion1[#「1」は上付き小文字]. S. 133.〕 かくの如き主體の永遠性は Anschauen des Universums によつて實現されるのである。
(四) Fr. 109.
(五) 「宗教哲學」二六節參看。可能性は結局現實性に基づくといふアリストテレスの思想は、本文に論じた文化主義の根本思想より來るのである。所謂 〔nous poie_tikos〕 の説も一部分はこの方面より理解さるべきであらう。「成る」といふことの前には必ず「有る」が立つてゐるのである。
(六) I, 6, 9. ゲーテの有名な句の源はここにある。
(七) Phaidon 79 d.
(八) 純粹客體の體驗の記述が極めて鮮明であるに反し、それを根據としての靈魂不死性の論證は甚だ不鮮明、殆ど混亂状態を示してゐる。死が靈魂と身體との分離であるならば、死といふ單なる事實そのものはすでに解脱を意味せねばならぬであらう。しかるに哲學は死の練習として説かれてゐる。ここにいふ死は單なる事實としての死ではなく、哲學的練習をなすもののみに與へられる解脱を意味し、それを死と呼ぶは比喩的表現に過ぎぬものとなるであらう。すなはち哲學的練習に身を委ねるもののみ死後その練習の成果を收め得るのである。さて、カントやその他の近世の思想家たちの考へたやうに、この練習は死後も繼續されるのであらうか。靈魂不
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