ニしてのみ成立つゆゑ、――實在的他者は主體にとつて實在性及び生の内容の、從つてあらゆる存在の、維持者乃至供給者であるといはねばならぬ。しかしながら他面において、自然的生は實在者と實在者との直接的なる從つて外面的なる接觸乃至衝突であるゆゑ、主體にとつてそれは他者よりの壓迫侵害であり、又存在の喪失である。自然的生を生きる限り主體は存在を獲得しつつしかも同時に喪失する。ここでは生ずるは滅ぶるであり來るは去るである。
 自然的生のこの絶え間なき流動推移においてこそ時及び時間性の最も基本的の姿即ち自然的時間乃至自然的時間性は成立つのである。「現在」は主體の自己主張に基づき生の充實・存在の所有を意味するものとして中心に位しそこよりして時の全體を包括する。之に反して「過去」は生の壞滅・存在の喪失・非存在への沒入である。しかしてこれら兩者を成立たしめる主體と他者との接觸交渉に對應するものが「將來」である。將來は絶えず流れ去る現在絶えず無くなり行く存在を補給しつつ維持する役目を演ずると同時に、又それの過去への絶え間なき移り行きの原因ともなる。將に來らんとするものはいつも來つて現在となりつつ、しかも他方それの向ひ行く現在にいつまでも出會ふことなしにをはる。將來と現在との間に存するこの矛盾的關係は畢竟主體と他者とが生及び存在の眞の共同に達し居らぬことを指し示す。後に説くであらう如く、永遠性における時間性の克服は主としてこの點に手掛かりを見出すであらう。
 吾々の見解は歴史的瞥見によつて一段の力を添へるであらう。アウグスティヌスの「時」の論はこの題目について思索する何人も研究の出發點となし又終始指導者となさねばならぬ劃期的業績である(二)。時の實在性が「現在」に存することを承認しながら、その現在が延長を有すること一定の内部的構造を具へてゐることを洞察して、根源的體驗における時の眞の姿を明かにしたのは彼の不朽の功績である。かれは時を精神の延長(distentio animi)と呼び、これを、現在が單純無差別なものでなく、將來と過去とを包括することに置いた。すなはち彼に從へば現在は三つの樣態乃至契機より成立つ。時は主體の基本的なる存在の仕方であるゆゑ、これら三つの契機には主體の三つの基本的動作が對應する。すなはち現在は直觀(contuitus)將來は期待(expectatio)過去は記憶(me
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