「。さて哲學が自己を超えて更に高きを示す生の展望に達することなく、文化的生の最高段階としての自己の地位に安らかに留まらうとする時は、「永遠」の觀念のかくの如き理解は本質上必然的なるものとなるのである。すでに論じた如く、客體面において自己性と他者性とを代表する二種類の形象乃至領域の間の聯關が存在する間は、活動の性格はなほ殘留し、從つて純粹の觀想、即ち觀想の本質の要求する通りの事態はなほ實現を見ない。高次の反省の立場に立つて、自己性及び形相の位置に立つ客體内容を、他者性及び質料の位置に立つものより引離し、獨立性と優越性とを付與しつつ固定するのが哲學である。哲學によつて純粹の觀想は實現を見、純粹形相・高次的客體は成立つのである。時間性の觀點よりみられたるかくの如き高次的純粹客體の擔ふ性格こそ、「無時間性」(Zeitlosigkeit)の意味における永遠性に外ならぬ。
 無時間性の思想そのものはすでにパルメニデスにおいても現はれてゐるが、無時間性を特徴として持つ高次的客體の存在の性格と意義とを根本的に究明し、かくて哲學にそれ固有の對象を與へるとともに、永遠性の理解に對して眞に創造的貢獻を示した人はプラトンである。客觀的實在世界における存在が、一般的にいへば外面性・關係性(相對性)、立入つていへば空間性しかして特に時間性の支配の下に立ち(四)、かくて例へば美しくあるといへば、この處この時この點において又この人に對して美しくあるといふに過ぎず、從つて或は有り或は無く、或は生じ或は滅びるのとは全く異なつて、イデアは外面性・關係性を超越し、生じることも滅びることもなく、飽くまでも自己性及び自己同一性を、從つて純粹單純なる存在及び形相・眞實の存在及び形相を保つもの、否かくの如き存在及び形相そのものである(五)。しかして時間性の觀點よりみられたるかくの如き純粹的高次的存在のもつ性格こそ永遠乃至不死(〔aei on, athanaton, aio_n, aio_nion〕)である(六)。プロティノスはこの根本思想をそのままに繼承しつつ更に進んでイデア的存在者どもの全體を一つの世界、思惟的世界(〔kosmos noe_tos〕)、に取纒めたが、そのことに應じて永遠性の概念的規定において特に全體性に重點を置いた(七)。これは、吾々もすでに論じた如く、時間性の特徴が斷片性不完成性に存することを
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