むことも書くことも出来ないのでそのまま横になつたが、私はそろそろ退屈になつて来だした。バットを抜いて一本つけてみたが、煙は苦《にが》く咽喉にさして頭が重くなつた。
 飯を食へば机の前に坐り、書けなくとも昼まではじつとしてゐ、昼食後ちよつと散歩をしてまた机の前に坐つて夜まで過す、これが私の毎日の生活の全部だつたが、この単純な生活の中で本を読んだり書いたりしてはいけないとなると、私の生活は大きな穴になつた。私は部屋を出ると、花園の中などを歩いてみたが、空虚だつた。花は少しも美しくなかつた。立体的な肉感がちつともなく、凡てが平面的に見えた。花びらは、青や赤や黄の色彩だけが浮いて見え、何時もより小さく暗かつた。
 この病院へ入院してからの二年近くを思ひ浮べた。それも真暗な穴のやうに思はれる。片目になつたから何もかもがそんな風に暗く思はれるのだらうか――。しかし私はまだ明るさといふものを知らない。闇の夜に、強い風の中で私は幾度もマッチをすつて提燈の火をつけようとしたことがある。あれはまだ私が十四五の時であつた。マッチはシュシュと燃え上るとすぐ風に盗られて消えた。またすつてみるがまた消されてしまふ。それは風が消すといふよりも闇そのものが消すやうだつた。あんな可憐な光りでは、あの深くたくましい暗黒に対しては力が無いのであらう。シュシュと飛ばす火の子も悲鳴に近い。闇は平気で呑み込んでしまふのだ。
 しかし、考へてみると私は一生涯あの時のやうにマッチをすり続けるのであらう。消されても消されても、私は全力を尽してその小さな光りを守りとほさうと努力するのであらう。その二年近くの日々もやはりさういふ風であつた。私は幾度かその光りを見た。一瞬、私は私の眼にその焔を映した。しかしその度毎に私は更に一段と深い闇を識つた。小さな光りはあとかたもなく闇の奥に消え去つてしまふのだ。
 私は更に未来の自分を描いて見た。真夜中にふと眼をさましたやうな思ひであつた。ジジジジジジーと鳴るあの耳鳴り、花園の中でその耳鳴りが聴えて来た。あれは黒い闇そのものの音であらうか。いやあれは、闇が私の肉体を食ふ音である。水の中で徐々に※[#「雨かんむり/誨のつくり」、60−3]爛《ばいらん》して行く物質のやうに、黒闇に融解して行く私の肉体の音なのだ。私は闇を見た、闇を。私は昏迷し、花びらを※[#「てへん+宛」、第3水準1−
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