声に気付かないのであろうか、尾田は一度声を掛けてみようかと思ったが、当直者が泣き声に気付かぬということはあるまいと思われるとともに、熱心に書いている邪魔をしては悪いとも思ったので、彼は黙って寝衣を更えた。寝衣はもちろん病院からくれたもので、経|帷子《かたびら》とそっくりのものだった。
 二列の寝台には見るに堪えない重症患者が、文字どおり気息|奄々《えんえん》と眠っていた。誰も彼も大きく口を開いて眠っているのは、鼻を冒されて呼吸が困難なためであろう。尾田は心中に寒気を覚えながら、それでもここへ来て初めて彼らの姿を静かに眺めることができた。赤黒くなった坊主頭が弱い電光に鈍く光っていると、次にはてっぺん[#「てっぺん」に傍点]に大きな絆創膏を貼りつけているのだった。絆創膏の下には大きな穴でもあいているのだろう。そんな頭がずらりと並んでいる恰好は奇妙に滑稽な物凄さだった。尾田のすぐ左隣の男は、摺子木《すりこぎ》のように先の丸まった手をだらりと寝台から垂らしてい、その向かいは若い女で、仰向いている貌は無数の結節で荒れ果てていた。頭髪もほとんど抜け散って、後頭部にちょっとと、左右の側に毛虫でも這っている恰好でちょびちょびと生えているだけで、男なのか女なのか、なかなかに判断が困難だった。暑いのか彼女は足を布団の上にあげ、病的にむっちりと白い腕も袖がまくれて露《あら》わに布団の上に投げていた。惨《むご》たらしくも情慾的な姿だった。
 そのうち尾田の注意を惹《ひ》いたのは、泣いている男の隣で、眉毛と頭髪はついているが、顎はぐいとひん曲がって、仰向いているのに口だけは横向きで、閉じることもできぬのであろう、だらしなく涎《よだれ》が白い糸になって垂れているのだった。年は四十を越えているらしい。寝台の下には義足が二本転がっていた。義足と言ってもトタン板の筒っぽで、先が細まり端に小さな足型がくっついているだけで、玩具のようなものだった。がその次の男に眼を移した時には、さすがに貌を外向《そむ》けねばいられなかった。頭から貌、手足、その他全身が繃帯でぐるぐる巻きにされ、むし暑いのか布団はすっかり踏み落とされて、かろうじて端がベッドにしがみついていた。尾田は息をつめて恐る怖る眼を移すのだったが、全身がぞっと冷たくなって来た。これでも人間と信じて良いのか、陰部まで電光の下にさらして、そこにまで無数の
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