けがねを外《はづ》させ、高き華魁《おいらん》の顔をやはらぐるも是《これ》なり。此噺《このはなし》日外《いつぞや》下《しも》の日待《ひまち》の時《とき》開始《ひらきはじ》めしより、いざや一|会《くわい》催《もよほ》さんと、四方赤良大人《よものあからうし》、朱楽管江大人《あけらくわんかううし》、鹿都辺真顔《しかつべまがほ》、大屋《おほや》の裏住《うらずみ》、竹杖《たけづゑ》の為軽《すがる》、つむりの光、宿屋《やどや》の飯盛《めしもり》を始めとして、向島《むかうじま》の武蔵屋《むさしや》に落語《らくご》の会《くわい》が権三《ごんざ》り升《ます》と、四方《よも》の大人《うし》の筆《ふで》にみしらせ、おのれ焉馬《えんば》を判者《はんじや》になれよと、狂歌《きやうか》の友どち一|百《ぴやく》余人《よにん》、戯作《げさく》の口を開けば、遠からん者は長崎《ながさき》から強飯《こはめし》の咄《はなし》、近くば、寄《よつ》て三升《みます》の目印《めじるし》、門前《もんぜん》に市《いち》を為《な》すにぞ、のど筒《づゝ》の往来《わうらい》かまびすしく、笑ふ声《こゑ》富士《ふじ》筑波《つくば》にひゞく。時に天明《てんめい》四ツの年《とし》甲辰《きのえたつ》四|月《ぐわつ》廿一|日《にち》なり。夫《それ》より両国尾上町《りやうごくをのへちやう》、京屋《きやうや》が楼上《ろうじやう》に集会《しふくわい》する事十|歳《とせ》あまり、之《これ》を聞くものおれ我《わ》れに語り、今は世渡《よわた》るたつきともなれり、峨江《がこう》初《はじめ》は觴《さかづき》を泛《うか》め、末《すゑ》は大河《たいが》となる噺《はなし》も末《すゑ》は金銭《きんせん》になるとは、借家《しやくや》を貸《か》して母屋《おもや》を取らるゝ譬《たとへ》なるべし、とは云《い》へ是《これ》も大江戸《おほえど》の有《あり》がたき恵《めぐ》みならずや。
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よいおとし噺《ばなし》も年《とし》も七十の
         市《いち》が栄《さか》へて千代《ちよ》やよろづよ
文化十癸酉春
                談語楼銀馬《だんごろうぎんば》の需《もとめ》に応《おう》じて
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[#地から1字上げ]七十一|翁《をう》、烏亭焉馬《うていえんば》
[#地から2字上げ]於談洲楼机下述《だんしゆうろうきかにお
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