であらう、「昔《むかし》」と云《い》ふ字《じ》ハ、廿一|日《にち》と書くから、まア廿一|日《にち》に行《い》つて見なさい。成程《なるほど》と思つて当日《たうじつ》行《い》つて見ると、幟等《のぼりなど》を建《た》て盛《さか》んに落語《はなし》の会《くわい》があつたといふ。して見ると無理に衆人《ひと》に聴《き》かせよう、と云《い》ふ訳《わけ》でも何《なん》でもなかつたのでござります。
恁《かゝ》る事は円朝《わたくし》も薩張《さつぱり》存《ぞん》ぜずに居《を》りましたが、彼《か》の談洲楼焉馬《だんしゆうろうえんば》が認《したゝ》めた文に依《よつ》て承知《しようち》いたしました。其文《そのぶん》に、
「夫《それ》羅山《らざん》の口号《こうがう》に曰《いはく》、萬葉集《まんえふしふ》は古詩《こし》に似《に》たり、古今集《こきんしふ》は唐詩《たうし》に似《に》たり、伊勢物語《いせものがたり》は変風《へんぷう》の情《じやう》を発《はつ》するに贋《にせ》たり、源氏物語《げんじものがたり》は荘子《さうし》と天台《てんだい》の書《しよ》に似《に》たりとあり。爰《こゝ》に宇治拾遺物語《うぢしふゐものがたり》と云《い》へるは、大納言隆国卿《だいなごんたかくにきやう》皐月《さつき》より葉月《はづき》まで平等院《びやうどうゐん》一切経《いつさいきやう》の山際《やまぎは》南泉坊《なんせんばう》に籠《こも》りたまひ、あふさきるさの者のはなし、高き賤《いや》しきを云《い》はず、話に従《したが》ひ大《おほ》きなる草紙《さうし》に書かれけり、貴《たつと》き事もあり、哀《あは》れなる事もあり、少しは空物語《そらものがたり》もあり、利口《りこう》なる事もありと前文《ぜんぶん》に記《しる》し置《お》かれたり、竹取物語《たけとりものがたり》、宇津保物語《うつぼものがたり》は噺《はなし》の父母《ちゝはゝ》にして、夫《それ》より下《しも》つ方《かた》に至《いた》りては、爺《ぢゞ》は山へ、婆《ばゞ》は川へ洗濯《せんたく》、桃《もゝ》の流れしと云《い》ふ事を始め、其咄《そのはなし》の種《たね》、夭々《よう/\》として其葉《そのは》秦々《しん/\》たり。されば竹に囀《さへづ》る舌切雀《したきりすゞめ》、月に住む兎《うさぎ》の手柄《てがら》、何《いづ》れか咄《はなし》に洩《もれ》ざらむ、力をも入れずして顋《おとがひ》のか
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