王様《わうさま》は。婆「十|王様《わうさま》は宮様《みやさま》同様《どうやう》なお家柄《いへがら》でございますから、何《なに》も御用《ごよう》はないのでございませう。岩「銭札《ぜにふだ》を付《つ》ける奴《やつ》などは何《ど》うして。婆「彼《あれ》は書記官《しよきくわん》に成《な》つて居《を》ります。岩「えらいもんですね、鬼《おに》なんぞは矢張《やつぱり》角《つの》が有《あ》りませう。婆「いゝえ、鬼《おに》の角《つの》は皆《みん》な佐藤《さとう》の老先生《らうせんせい》が入《い》らしつて切つてお仕舞《しま》ひなさいました。岩「へえゝ。婆「ちよいと小《ちい》さいシヤツポを冠《かぶ》り、洋服で歩いて居《ゐ》ますから知れませんよ。岩「あの浄玻璃《じやうはり》の鏡に業《ごふ》の権衡《はかり》は何《ど》うしました。婆「業《ごふ》の権衡《はかり》は公園にお茶屋《ちやゝ》が有《あ》りまして、其処《そこ》に据付《すゑつ》けて有《あ》りますが、皆《みな》さんが僕《ぼく》は地獄《ぢごく》へ来《き》てから体量《め》が増《ふ》えたなどゝ云《い》つて悦《よろこ》んで居《を》ります、浄玻璃《じやうはり》の鏡は、ストウブを焚《た》きます上《うへ》に飾《かざ》つてあります、縁《ふち》だけ取換《とりか》へて、娑婆《しやば》の事が写《うつ》る、僕《ぼく》は是《これ》だけ悪い事をしたなどと云《い》つて在《いら》ツしやいます。岩「成程《なるほど》、血《ち》の池《いけ》地獄《ぢごく》、針の山などはまだございますか。婆「いゝえ、ございませんよ、岩崎弥太郎《いはさきやたらう》さんと云《い》ふ方《かた》が入《い》らツしやいまして、あの旦那様《だんなさま》が針の山を払《はら》ひ下《さ》げて、其《その》山を崩《くづ》した土《つち》で血の池を埋《う》めてしまひ、今では真《ま》ツ平《たひ》らで、彼処《あすこ》が公園に成《な》りまして、誠に面白《おもしろ》うございますよ、女《をんな》が燈心《とうしん》で竹《たけ》の根《ね》を掘《ほ》つたりする観物《みせもの》が出ますよ。岩「成程《なるほど》、へえゝ。婆「パノラマを往《い》つて御覧《ごらん》なさいまし。岩「地獄《ぢごく》へパノラマが……。婆「大層《たいそう》立派《りつぱ》に出来《でき》ましたよ。岩「矢張《やつぱ》りあの浅草《あさくさ》の公園に在《あ》るやうな戦争の図《づ》かえ。婆「いゝえ、昔の地獄《ぢごく》の火の車や無間地獄《むげんぢごく》などで、此方《こちら》に本当《ほんたう》の火の車が有《あ》りまして、半分《はんぶん》絵《ゑ》で描《か》いて有《あ》つて、その境界《さかひめ》がちつとも分《わか》りません、誠に感心だ、火の燃える処《ところ》が本当《ほんたう》のやうだ、怖《こは》いなんツて皆《みな》さんが仰《おつ》しやいます。岩「成程《なるほど》、然《さ》うでございますかね、それから正月《しやうぐわつ》と盆《ぼん》の十六|日《にち》に蓋《ふた》の開《あ》くと云《い》ふ、地獄《ぢごく》の大きな釜《かま》は何《ど》うしました。婆「あれで瓦斯《ぐわす》を焚《た》きます、夜《よる》は方々《はう/″\》へ瓦斯《ぐわす》が点《つ》きますから、少しも地獄《ぢごく》は怖《こは》い事はございません。岩「へえゝ、開《ひら》けたもんで。婆「開《ひら》けたツて、貴方《あなた》芝居《しばゐ》見《み》に入《い》らツしやいよ、一日お供《とも》を致《いた》しませう。岩「地獄《ぢごく》は芝居《しばゐ》が有《あり》ますか。婆「有《あ》るかツて、えらいのが来《き》て居《ゐ》ます、故人《こじん》高島屋《たかしまや》や彦三郎《しんすゐ》が来《き》て居《ゐ》ます、半《はん》四|郎《らう》や、仲蔵《なかざう》なども来《き》て、それに今度《こんど》訥升《とつしやう》に宗《そう》十|郎《らう》が這入《はい》つて大層《たいそう》な芝居《しばゐ》が有《あ》ります。岩「成程《なるほど》此方《こつち》の方《はう》が宜《い》い。婆「それから豊前太夫《ぶぜんだいふ》が来《き》ました。富本《とみもと》上《じやう》るりに庄《せう》五|郎《らう》が来《き》ましたので、長唄《ながうた》の出囃《でばやし》が有《あ》ります。岩「成程《なるほど》これはえらい、ぢやア見に行《い》きませう。と云《い》ふ処《ところ》へガラ/\/\(轟《とゞろ》く音《おと》)婆「馬車が来ました。岩「おゝ、お立派《りつぱ》な馬車だ、大きな方《かた》だね。婆「あの方《かた》は山岡鉄太郎様《やまをかてつたらうさま》と仰《おつ》しやるお方《かた》です。岩「側《そば》に何《なに》か二人|附《つ》いて居《ゐ》るね。婆「ハア、お一人は静岡《しづをか》の知事《ちじ》をなすツた関口《せきぐち》さん、お一人は御料局長《ごれうきよくちやう》の肥田《ひだ》さんで、お情交《なか》が好《い》いもんだから、何時《いつ》でも御一緒《ごいつしよ》で。岩「大層《たいそう》お忙《せわ》しさうで。婆「なに極楽《ごくらく》へ行《い》つて入《いら》つしやいましたが、近来《このごろ》極楽《ごくらく》も疲弊《ひへい》を仕《し》ましたから、勧化《くわんげ》をお頼《たの》まれで、其事《そのこと》で極楽《ごくらく》へ入《い》らしつたのでございませう。岩「極楽《ごくらく》の勧化《くわんげ》かえ、相変《あひかは》らず此方《こつち》へ来《き》てもお忙《いそ》がしい。婆「それに関口《せきぐち》さんと肥田《ひだ》さんは鉄道《てつだう》には懲《こ》りたと云《い》つて、何日《いつ》でもお馬車《ばしや》で。岩「何《なに》しろ奇態《きたい》なもので……。と云《い》つてゐる内《うち》に、慣《な》れないから足を踏外《ふみはづ》して三|途川《づのかは》へ逆《さか》トンボを打つてドブーリ飛込《とびこ》むと、岩「無無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。々々々《/\》々々々《/\》。女「実《じつ》に驚《おどろ》きました、彼《あ》んなお丈夫《ぢやうぶ》さまなお方《かた》が何《ど》うして御死去《おなくな》りになつたかと云《い》つて、宿《やど》の者《もの》も宜《よろ》しう申《まう》しました、嚥《さぞ》お力落《ちからおと》しで……。婆「有難《ありがた》う存《ぞん》じます、良人《やど》は平素《ふだん》牛肉《うし》などは三|人前《にんまへ》も喰《た》べました位《くらゐ》で……。女「おや、お待《ま》ちなさいまし、早桶《はやをけ》の中《なか》でミチ/\音《おと》が致《いた》しますよ。妻「魔《ま》が魅《さ》したのでせう。岩「明《あ》けておくれ/\、蘇生《よみが》へつたから明《あ》けてお呉《く》れ。岩「何《なん》とか云《い》ひますよ、お明《あ》けなさい。と云《い》ふから、早桶《はやをけ》の蓋《ふた》を取ると蘇生《よみがへ》つて居《ゐ》る。妻「あらまアお前《まへ》さん助かつたのかえ。岩「三途川《さんづのかは》へ落《おつ》こつて蘇生《よみが》へつた。妻「妙《めう》だね、ま嬉《うれ》しい。女「斯《こ》んなお芽出《めで》たい事はございませんね。岩「皆《みな》さんはお通夜《つや》のお方《かた》か、おや/\物騒《ぶつさう》だな、通夜《つや》の坊《ばう》さんが酒《さけ》に酔倒《ゑひたふ》れて居《ゐ》る、炮砥《はうろく》に線香《せんかう》をどつさり差《さ》して、一|本花《ぽんばな》に枕団子《まくらだんご》旧弊《きうへい》だね、是《これ》から思ふと地獄《ぢごく》の方《はう》が余程《よつぽど》開《ひら》けた。と云《い》ふお話で。
[#地から1字上げ](拠酒井昇造速記)
底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
1964(昭和39)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年6月19日作成
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