でなすツたかえ。女「はい私《わたくし》も疾《と》うから参《まゐ》つて居《を》ります、おやまア、岩田屋《いはたや》の旦那《だんな》だよ、貴方《あなた》は腎虚《じんきよ》なんでせう。男「馬鹿《ばか》をいへ、さうしてお前《めえ》は誰《だれ》だツけ。女「柳橋《やなぎばし》のお重《ぢう》でございますよ。岩「なる程《ほど》芸妓《げいしや》のお重《ぢう》さんだ、お前《めえ》は虎列剌《これら》で死んだのだ、これはどうも……此方《こつち》へ来《き》てから虎列剌《これら》の方《はう》は薩張《さつぱり》よいかね、併《しか》し並んで歩くのは厭《いや》だ、僕《ぼく》は地獄《ぢごく》へ行《い》くのは困るね、極楽《ごくらく》へ行《い》きたいが、何方《どつち》へ行《い》つたら宜《よ》からう。重「何方《どつち》へ行《い》つても最《も》う造作《ざうさ》ア有《あ》りません、直《ぢ》きですよ。岩「それでも極楽《ごくらく》は十|萬《まん》億土《おくど》だと云《い》ふぢやアないか。重「其処《そこ》に停車場《ステンシヨン》が有《あ》りますから、汽車《きしや》に乗れば、すうツと直《ぢ》きに行《い》かれますよ。岩「もう地獄《ぢごく》へも汽車《きしや》が出来《でき》たかえ、驚《おどろ》いたね。甲「へえゝどうも旦那《だんな》、誠に暫《しばら》く……。岩「いやア、アハヽヽこれは吉原《よしはら》の幇間《たいこもち》の民仲《みんちう》だね。民「へえ、どうも思《おも》ひ掛《がけ》ない処《ところ》で旦那《だんな》にお目にかゝつたぢやアないか。乙「へえ旦那《だんな》、誠に暫《しばら》く、どうも宜《よ》くお出《い》でなすツた。岩「なに宜《よ》くも来《こ》ない……こゝに川が有《あ》るね。民「これが有名《いうめい》な三|途川《づのかは》と云《い》ふので。岩「三|途川《づのかは》にしちやア橋が有《あ》るね。民「旧《もと》は渡《わたし》で対岸《むかう》に大きな柳の樹《き》が有《あ》つて、其処《そこ》に脱衣婆《ばあさん》が居《ゐ》て、亡者《まうじや》の衣服《きもの》をふん奪《ばい》て、六|道銭《だうせん》を取つて居《ゐ》ましたが、渡《わた》しはいけないといふ議論《ぎろん》がありました、それは水害《すゐがい》のためにもし船《ふね》が転覆《ひつくりか》へると蘇生《よみがへ》る亡者《やつ》が多いので、それでは折角《せつかく》開《ひら》けようといふ地獄《ぢごく》の衰微《すゐび》だといふので、此《こ》の通《とほ》り鉄橋《てつけう》になつちまいました、それ御覧《ごらう》じろ、三|途《づ》橋《ばし》と書いて有《あ》りませう。岩「成程《なるほど》、三途川《さんづのかは》は鉄橋《てつけう》が架《かゝ》るなどゝ云《い》ふのはえらいもので。民「えらいなんて、地獄《ぢごく》の開《ひら》けた事を貴方《あなた》にお目にかけたい位《くらゐ》のものです、兎《と》も角《かく》彼処《あすこ》に茶屋《ちやゝ》が有《あ》りますから入《い》らツしやい。と是《これ》から案内《あんない》に連《つ》れて行《ゆ》き、橋《はし》を渡《わた》ると葭簀張《よしずばり》の腰掛《こしか》け茶屋《ぢやゝ》で、奥《おく》が住居《すまゐ》になつて居《を》り、戸棚《とだな》が三《みつ》つばかり有《あ》り、棚《たな》が幾《いく》つも有《あ》りまして、葡萄酒《ぶだうしゆ》、ラムネ、麦酒《ビール》などの壜《びん》が幾本《いくほん》も並んで居《ゐ》て、中々《なか/\》届《とゞ》いたもので、土間《どま》を広《ひろ》く取つて、卓子《テーブル》に白いテーブル掛《かけ》が懸《かゝ》つて、椅子《いす》が有《あ》りまして、烟草盆《たばこぼん》が出て居《を》り、花瓶《くわびん》に花を挿《さ》し中々《なか/\》気取《きど》つたもので、菓子台《くわしだい》にはゆで玉子《たまご》に何《なに》か菓子が有《あ》ります、好《よ》い菓子では有《あ》りませんけれども、萬事《ばんじ》届《とゞ》いて居《を》ります。岩「こりやア驚《おどろ》いた、婆《ばあ》さん茶を一|杯《ぱい》おくれ。婆「お掛《か》けなさいまし、宜《よ》く入《い》らツしやいました、さ此方《こちら》へ、汽車《きしや》の出るにはちつと間《あひ》が有《あ》りますよ、今《いま》極楽《ごくらく》が出ました後《あと》でございます、これから地獄行《ぢごくゆき》が出ます。岩「妙《めう》だね、へえゝ、感心だね。ちやんと麦酒《ビール》の看板《かんばん》だね、西洋酒《せいやうしゆ》のビラが下《さが》つて居《ゐ》る所が不思議《ふしぎ》だね、此《こ》の婆《ばア》さんは何《なん》ですか。民「これは脱衣婆《だつえばア》さんなんで。岩「ア、アー、三途川《さんづのかは》の婆《ばア》さんかえ。婆「はい旧《もと》は彼等《あすこ》で六|道《だう》銭《せん》を取つて、どうやら斯《か》うや
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