包んで柳島へ帰る途中、左右を見返り、小声で、
 幸「此方《こっち》の事を知らせずとも、余所ながら彼《あれ》を取立てゝやる思案もあるから、決して気《け》ぶりにも出すまいぞと、あれ程云って置いたに、余計なことを云うばかりか、己にも云わずに彼様《あん》な金を遣ったから覚《さと》られたのだ、困るじゃアねえか」
 柳「だッてお前さん、現在我子と知れたのに打棄《うっちゃ》って置くことは出来ませんから、名告らないまでも彼を棄てた罪滅《つみほろぼ》しに、彼《あ》のくらいの事はしてやらなければ今日様《こんにちさま》へ済みません」
 幸「エヽまだ其様《そん》なことを云ってるか、過去《すぎさ》った昔の事は仕方がねえ」
 柳「まだお前さんは彼を先《せん》の旦那の子だと思って邪慳になさるのでございますね」
 幸「馬鹿を云え、そう思うくらいなら彼様《あんな》に目をかけてやりはしない」
 柳「だッて先刻《さっき》なんぞア酷《ひど》く突倒したじゃアありませんか」
 幸「それでも今彼に本当のことを知られちゃア、それから種々《いろん》な面倒が起るかも知れないから、何処までも他人で居て、子のようにしようと思うからの事だ……おゝ寒い、斯様《こん》な所で云合ったッて仕方がない、速く帰って緩《ゆっ》くり相談をしよう、さア行こう」
 と、お柳の手を取って歩き出そうと致しまする路傍《みちばた》の枯蘆《かれあし》をガサ/\ッと掻分けて、幸兵衞夫婦の前へ一人の男が突立《つッた》ちました。是は申さないでも長二ということ、お察しでございましょう。

        十八

 請地の土手伝いに柳島へ帰ろうという途中、往来《ゆきゝ》も途絶えて物淋しい所へ、大の男がいきなりヌッとあらわれましたので、幸兵衞はぎょっとして遁《に》げようと思いましたが、女を連れて居りますから、度胸を据えてお柳を擁《かば》いながら、二足《ふたあし》三足《みあし》後退《あとじさり》して、
 幸「誰だ、何をするんだ」
 長「誰でもございません長二です」
 幸「ムヽ長二だ……長二、手前|何《なん》しに来たんだ」
 長「何しに来たとはお情《なさけ》ねえ……私《わっち》は九月の廿八日、背中の傷を見せた時、棄てられたお母《っか》さんだと察したが、奉公人の前《めえ》があるから黙って帰《けえ》って、三月越《みつきご》しお前《めえ》さん方の身上《みじょう》を聞糺《きゝたゞ》して、確《たしか》に相違|無《ね》えと思うところへ、お二人で尋ねて来てくだすったのは、親子の名告《なのり》をしてくんなさるのかと思ったら、そうで無えから我慢が出来ず、私の方から云出したのが気に触ったのか、但しは無慈悲を通す気か、気違だの騙りだのと人に悪名《あくみょう》を付けて帰《けえ》って行くような酷《むご》い親達から、金なんぞ貰う因縁が無えから、先刻《さっき》の五十両を返《けえ》そうと捷径《ちかみち》をして此処《こゝ》に待受け、おもわず聞いた今の話、もう隠す事ア出来ねえだろう、お母さん、何うかお前《めえ》さんに云い難《にく》い事があるかア知りませんが、決して他《ひと》には云わねえから、お前《めえ》を産んだお母《ふくろ》だといってくだせい……お願いです……また旦那は私の本当のお父《とっ》さんか、それとも義理のお父さんか聞かしてくだせい」
 と段々幸兵衞の傍《そば》へ進んで、袂に縋る手先を幸兵衛は振払いまして、
 幸「何をしやアがる気違|奴《め》……去年谷中の菩提所で初めて会った指物屋、仕事が上手で心がけが奇特《きどく》だというので贔屓にして、仕事をさせ、過分な手間料を払ってやれば附けあがり、途方もねえ言いがゝりをして金にする了簡だな、其様《そん》な事に悸《びく》ともする幸兵衞じゃア無《ね》えぞ……えゝ何をするんだ、放せ、袂が切《きれ》るア、放さねえと打擲《ぶんなぐ》るぞ」
 と拳を振上げました。
 長「打《ぶ》つなら打ちなせえ、お前《めえ》さんは本当の親じゃアねえか知らねえが、お母《っか》さんは本当のお母さんだ……お母さん、何故|私《わっち》を湯河原へ棄てたんです」
 とお柳の傍へ進もうとするを、幸兵衛が遮《さえぎ》りながら、
 幸「何をしやアがる」
 と云いさま拳固で長二の横面《よこつら》を殴りつけました。そうでなくッても憎い奴だと思ってる所でございますから、長二は赫《かっ》と怒《いか》りまして、打った幸兵衛の手を引《ひ》とらえまして、
 長「打《ぶ》ちゃアがったな」
 幸「打たなくッて泥坊め」
 長「何だと、何時己が盗人《ぬすっと》をした」
 幸「盗人だ、此様《こん》な事を云いかけて己の金を奪《と》ろうとするのだ」
 長「金が欲《ほし》いくれえなら、此の金を持って来《き》やアしねえ、汝《うぬ》のような義理も人情も知らねえ畜生の持った、穢《けがら》わしい金は
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