まったので已むを得ず推参いたした訳で、老人を愍然《びんぜん》と思召して御救助を何うか」
茂「成程、それはお困りでしょうが、当節は以前と違って甚《ひど》い不手廻りですから、何分心底に任しません」
と金子を紙に包んで、
茂「これは真《ほん》の心ばかりですが、草鞋銭と思って何うぞ」
と差出すを、
玄「はい/\実に何とも恐縮の至りで」
と手に受けて包をそっと披《ひら》き、中を見て其の儘に突戻しまして、
玄「フン、これは唯《たっ》た二百|疋《ぴき》ですねえ、もし宜く考えて見ておくんなさい」
茂「二分では少いと仰しゃるのか」
玄「左様《さよう》さ、これッばかりの金が何になりましょう」
茂「だから草鞋銭だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」
玄「ところが愚老の穿《は》く草鞋は高直《こうじき》だによって、二百疋では何うも国へも帰られんて」
茂「そんなら幾許《いくら》欲《ほし》いというのだ」
玄「大負けに負けて僅《わず》か百両借りたいんで」
三十六
由「おやまア呆れた」
茂「岩村さん、お前とんでもねえ事をいうぜ、何で百両貸せというのだ、私《わし》アお前さんにそんな金を貸す因縁はない」
玄「成程因縁はあるまいが、龜甲屋の御夫婦が歿《なくな》った暁《あかつき》は、昔馴染の此方《こなた》へ縋《すが》るより外に仕方がないによって」
茂「昔馴染だと思うから二分はずんだのだ、左様《そう》でなけりゃア百もくれるのじゃアない、少いというなら止しましょうよ」
玄「宜しい、此方《こっち》でも止しましょう、憚りながら零落しても岩村玄石だ、先年売込んだ名前があるから秘術|鍼治《しんじ》の看板を掲《か》けさいすれば、五両や十両の金は瞬間《またゝくま》に入《は》いって来るのは知れているが、見苦しい家《うち》を借りたくないから、資本を借りに来たのだが、貴公が然《そ》ういう了簡なら、貸そうと申されてももう借用はいたさぬて」
茂「そりゃア幸いだ、二分棒にふるところだった、馬鹿/\しい」
玄「何だ馬鹿/\しいとは、何だ、貴公達は旧《もと》の事を忘れたのか、物覚えの悪い人たちだ、心得のため云って聞かせよう、貴公達は龜甲屋に奉公中、御新造様に情夫《おとこ》を媒介《とりも》って、口止に貰った鼻薬をちび/\貯めて小金貸《こがねかし》、それから段々慾が増長し、御新造様のくすねた金を引出して、五両一の下金貸《したかねかし》、貧乏人の喉を搾《し》めて高利を貪り仕上げた身代、貯るほど穢《きたな》くなる灰吹同前の貴公達の金だ、仮令《たとえ》借りても返さずには置かないのに、何だ金比羅詣り同様な銭貰いの取扱い、草鞋銭とは失礼千万、たとい金は貸さないまでも、遠国から出て来て、久しぶりで尋ねて来たのだ、此様《こん》な家《うち》へ泊りはしないが、お疲れだろうから一泊なさいとか、また鹿角菜《ひじき》に油揚の惣菜では喰いもしないが、時刻だから御飯をとか世辞にも云うべき義理のある愚老を、軽蔑するにも程があるて」
由「おや大層お威張りだねえ、何ですとアノ」
茂「お由黙っていろ、強請《ゆすり》だから」
玄「なに強請だ、愚老が強請なら貴公達は人殺《ひとごろし》の提灯持だ」
茂「やア、とんだ事をいう奴だ、何が人殺だ」
玄「聞きたくば云って聞かせるが、貴公達は龜甲屋の旦那の病中に、愚老へ頼んだことを忘れたのか」
と云われて、夫婦は恟《びっく》りして顔色を変え、顫《ふる》えながら小さな声をして、
茂「これサ、それを云やア先生も同罪だぜ、まア静かにおしなさい、人に聞かれると善くないから」
玄「それは万々承知さ、此様なことは云いたくは無いが、余《あんま》り貴公達が因業で吝嗇《けち》だからさ」
由「それじゃお前さん虫がいゝというもんだ、先生お前さん彼《あ》の時御新造から百両貰ったじゃアありませんか」
玄「百両ばかり何うなるものか、なくなったによって、又百両又百両と、千両ばかり段々に貰う心得で出て来て見ると、天道様は怖いもので、二人とも人手にかゝって殺されたというから、向後《きょうこう》悪事はいたさぬと改心をしたが、肝腎の金庫《かねぐら》が無くなって見ると、玄石殆んど路頭に迷う始末だから、已むを得ず幸いに天網《てんもう》を遁《のが》れて居《お》る貴公達へ、御頼談《ごらいだん》に及んだのさ」
茂「それでも私《わし》にア一本という大金は」
玄「出来ないというのを無理にとは申さんが、其の金が無い時は玄関を開く事も出来ず、再び郷里へ帰る面目もないによって、路傍に餓死するより寧《むし》ろ自から訴え出て、御法を受けた方が未来のためになろうと観念をしたのさ、其の時は御迷惑であろうが、貴公達から依頼を受けて斯々《こう/\》いたした
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