十三

茂「お前は俄かに怜悧《りこう》に成ったの、年が往《い》かなくって頑是《がんぜ》が無くっても、己が馬鹿気て見えるよ、ハアー衆人《みんな》に笑われるも無理は無い」
 と差俯向《さしうつむ》き暫らく涙に沈み居たるが、漸く気を取直して面《おもて》を擡《あ》げ、袂から銭入を取出し、
茂「こゝにお銭《ぜゝ》が有るからお前に遣る、もう私は要らないから是だけ悉皆《すっかり》お前に遣るから、これをお父さんの形見だと思って、これでお母さんに何か買って貰いな」
布「イヤー大変にくれたね、今までは何処へ往ってもお土産《みや》を買って来てくれた事は無いが、そのお銭は皆《みん》な芸妓《げいしゃ》に入り揚げちまって、女郎買の糠味噌《ぬかみそ》が何うとか為《し》たって然《そ》う云ったよ、今度坊にお銭をくれるようではお父さんも辛抱人に成ったんだろう」
茂「お祖父さんに然う云ってはいけないよ、お父さんの来た事が知れると、あの通りやかましいから、お祖父さんに内証《ないしょ》でお母を呼んでくれ、私《わし》に逢ったと云うではないよ、あのざま[#「ざま」に傍点]の処から、内証《ないしょ》で呼んでくれ」
布「じゃア内証で往って来るよ」
 何心なく頑是なしに走って参り、織場へ往って見ますると、おくのは夜は灯火《あかり》を点《つ》けて夜業《よなべ》を為《し》ようと思い、襷掛《たすきが》けに成って居る後《うしろ》へ参り、
布「お母さん/\」
くの「何んだよ、昨日《きのう》も学校から帰ると日暮方まで遊んでいたが、余《あんま》り表へ出ねえようにしな、何んだよ」
布「あのね、お父さんが来たよ」
くの「え……何処へ」
布「あのね内証《ないしょう》でお母さんに逢って詫言をしたい、辛抱人に成ったてえが、本当に成ったかも知れないよ、内証でお母さんに逢いたいって坊に斯様《こんな》にお銭をくれたよ、お銭をくれるくらいだから辛抱人に成ったかも知れないから、お前逢ってお遣りな」
くの「逢いたいってお祖父さんがに知れると、でけえ小言が出るが……決して云うじゃアねえよ、黙って居なよ、然うして少し此の機を気イ附けて居ろ、蚊遣火《くすべ》が仕掛けて有るから」
 と夫婦の情で逢いたいから、直《すぐ》に飛出して往《い》こうかとは思ったが、一歳《ひとつ》になるお定《さだ》の顔を見せたいと思いまして、これを抱起して飛んで参り、
くの「おやまア貴方《あんた》は何うしておいでなせえました」
茂「あい誠に面目次第も有りません」
くの「お父さまが物堅くって家《うち》へ寄せ附けないと云っても、おくのが附いて居ながら、事の済んだ暁には何とか詫言をして家へ出這入りの出来るように為《し》そうなものだ、それとも私がお父さんに悪く取做《とりな》しでもして居や為ないかと、貴方《あんた》が腹でもたてゝいやアしないかと、そればっかり心配して居やしたよ」
 と云われて、流石《さすが》の茂之助もおくのの貞実に感動され、暫く泣き沈みました。
茂「アノー誠に何うも面目次第もない、もう此処が辛抱の仕処《しどころ》だから、私《わし》は一生懸命に稼いで親父に確《しか》とした辛抱の証《しょう》を見せて家《うち》へ帰る積りだが、もうあの女には懲々《こり/\》したから真面目になって夫婦仲善く可愛いゝ子の顔を見て暮そうと云う心になったよ、併《しか》し只辛抱するったって親父が中々得心しまいから、横浜へ往って、少し商売の取引の事が有るから往《い》く積りだ、これまで私は馬鹿を為《し》て拵えた借財をお前が内証《ないしょう》で払ってくれた借金の極りも附けなければならないから、是非横浜へ往きたいのだが、何うも身装《みなり》が悪いと衆人《ひと》の用いが悪いから、羽織だけは他《わき》で才覚したが、短かい脇差を一本お父さんに内証で持って来てくれねえか」

        十四

くの「脇差なんぞを差さねえでも宜《い》いじゃア有りませんか」
茂「脇差を差さねえと人の用いが悪いのだから持って来てくんな」
くの「お定がこんなに大《でか》く成りやしたよ、ちょっくら抱《でえ》て遣っておくんなせえ」
茂「じゃア己が抱いて居るから持って来ておくれ」
くの「あんた、大分《でえぶ》顔の色が悪いが、詰らねえ心に成ってはいけませんよ、一人のお父さまを見送らねえ中《うち》は貴方《あんた》の身体では無《ね》えから、譬《たと》え何《ど》んなに厳《やか》ましいたって、お父さまが塩梅《あんべえ》が悪くなって、眼を引附《ひきつ》ける時に来て死水を取れば、誰が何と云っても貴方の家《うち》に極って居るから、腹の立つ事も有りましょうが、子供や私《わし》に免じて何うぞ軽躁《かるはずみ》な事を為《し》ねえようにしてお呉んなせいよ」
茂「はい/\……決して軽躁は為ない、是までは殺して仕舞おうかと
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