ったら茂之助も家《うち》へ帰ろうかと思いまして、右の金子を川村に渡しました。是れでお瀧は茂之助へ面当《つらあて》ヶ|間《ま》しく、わざとつい一里と隔たぬ猿田村《やえんだむら》の取附《とりつ》きに山王《さんのう》さまの森が有ります、其の鎮守の正面《むこう》に空家が有りましたからこれを借り、葮簀張《よしずばり》の掛茶店《かけぢゃや》を出し、片傍《かたわき》へ草履草鞋を吊して商い、村上松五郎は八木《やぎ》八名田《やなだ》辺へ参っては天下御禁制の賭博《てなぐさみ》を致してぶら/\暮して居ります。茂之助は三八郎の計《はから》いで、手切金を出しお瀧を離縁しましたが、面当に近所へ世帯《しょたい》を持ったので口惜《くやし》くって、寝ても覚めても忘られず、残念に心得て居りました。
十一
丁度盆の事でございます。茂之助は少し用が有って町へ買物に出ますると、足利地方では立派な家《うち》のお内儀《かみ》さんが風呂敷包を脊負《しょ》って買物に往《ゆ》きます。日傘を指《さ》し包を十文字に脊負《せお》い、ガラ/\下駄を穿《は》いて豪家《ものもち》のお内儀さんでも買物に出まするくらいだから、お瀧も小包を提げて買物を致し、自分の家へ這入りに掛る処を茂之助が見付け、
茂「おい、お瀧/\」
たき「あい……恟《びっく》りしたよ、何んですえ」
茂「何んですとは何んだ、何んですもねえもんだ」
たき「何を云うんだよ、何うしたんだねえ」
茂「何うもしねえのよ、お前《めえ》に少し云う事が有って己は[#「己は」は底本では「已は」]来たんだ、お前と云うものは何うも実に不実な女だぜ、己に済むけえ、前橋に居た時に何卒《どうぞ》して東京へ帰りたい、何時までも此処に芸者をして居ても堅くして居ちゃア衆人《ひと》の用いが悪うございます、此の節は厭な官員さんが這入って来て御冗談を仰しゃる事が有るから困ります、私も旧《もと》は武士《さむらい》の娘ですから然《そ》んな真似も為《し》たくないと云うから、己が可愛相だと思えばこそ無理才覚をして、藤本へ掛合って、手前《てめえ》の身請をして遣った時にゃア手を合せて拝んだじゃアねえか、その恩を忘却して何んだ、松公に逢いたいから請出されて来たとは何んの云い草だ、何うも然ういう了簡とも知らず騙されたのは僕が愚だから仕方も無《ね》えが、剰《あまつ》さえ三十金手切を取って、これ見よがしに此の猿田村へ世帯《しょたい》を持ち、二人仲好く暮して居られた義理かえ」
たき「然んな事を今云ったッて仕方が無いじゃアないか、然んなら何故|彼《あ》の時出さないようにおしなさらない、一旦得心ずくで離縁に成って仕舞えば仕方が無いじゃア有りませんか、もう書付まで取交して悉皆《すっかり》極りが付いて仕舞って、今の私の亭主は松五郎ですよ、成程それは旧《もと》お前さんのお世話に成った事も有りますけれども、今に成って然んなぐず/\した事を云うと、今度はしっぺえ返しに松五郎さんの方から理不尽に喧嘩でも仕掛けるといけないから、後生ですから早く帰って下さい、お前さんより松さんの方が余程《よっぽど》やきもちやきで困るんだよ、ちょいと他の男と差向いで話でもして居ると、直ぐ嫉妬《やきもち》を焦《や》いて、訝《おか》しい処置振りをするって怒るんだよ」
茂「誰だってそれは怒るのが夫婦の情だ、お互に情が有れば夫婦の情だが、お前の方では夫婦の情を尽す事が無《ね》えんだ、何う考えてもお前に出られちゃア己の顔が立たねえんだ、聞けば松公は賭《あそ》んでばかり居《い》る……賭んで居《お》る……そうだそうだが、行先《ゆきさき》の認めの無《ね》い松公を慕って居ても末始終お前の身の上が覚束無《おぼつかね》えよ、縁有って一度でも二度でも苦労をした間柄だから、少しの金で松公の手が切れる事なら、何うか金の才覚はするから旧通《もとどお》りに話が附くめえものでも無えから、帰る腹なら帰ってくれねえか」
たき「厭だよ、シト何うしたんだね、私は素《もと》よりお前さんに惚れて来たんじゃア無いよ、前橋のような知りもしない処へ芸者に往って、逢う人も/\馴染めないやぼな人ばかりで、厭で/\堪らない処で松さんに逢ったんだが[#「逢ったんだが」は底本では「逢ったんだか」]、彼《あ》の人は私が東京に居た時分からの馴染だが、お金が無くって気儘に成れないから困って居ると、お前さんが舌の長い事を云ってポン/\法螺をお吹きだから、宜《い》い金持の旦那様と思い違えて、請出されて来て見ると、宅《うち》ではお内儀さんが機を織って働いて居るような人だから、然んな人の傍に何時までくっ附いて居ても仕方が無いから、私も斯う云う訳に成ったんだから、何もお前さんに未練を残して帰りたいなんてえ了簡は無いよ、然んな未練な事を云うと気障《きざ》が見えて耐《たま》らないよ
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