勧め酔わして置いて寝かしてから彼奴《あいつ》の方へ往く了簡だろう、と思いましたから、成《なる》たけ酒を飲まぬようにして、お膳の隅へあけて、お瀧に盃を差し、女を酔わして堕落させようと思い、頻《しき》りに酒を勧める。其の心の中《うち》の戦《たゝかい》は実に[#「実に」は底本では「実た」]修羅道地獄の境界《きょうがい》で、三人で酒を飲んで居りましたが、松五郎は調子の好《い》い男で、
松「何うも大きに酩酊しました、もうお暇をしましょう、お暇をしましょう」
茂「まア宜《い》いじゃア無いか、今夜は泊って往《い》き給え、是から福井町へ帰れば、貸座敷と云っても余《あんま》り好《い》いのは無いが色を売る処、殊《こと》に君は独身者《ひとりもの》だから遊女にでも引ッかゝると詰らんよ、一つ蚊帳《かや》の中へ這入って三人|混雑《ごった》にお泊りよ」
瀧「お泊んなさいよ、お前さんは独身《ひとりみ》だから余程《よほど》遊ぶてえ事を聞いたが、詰らないお銭《あし》を費《つか》って損が立つ計《ばか》りではなく、第一身体でも悪くするといけないし、それに余程《よっぽど》もう遅いよ、慥《たし》か一時でしょう」
茂「だからさ、泊って往《い》きたまえ」
 と無理に引止め、片端へ茂之助が寝て、中央《まんなか》へお瀧、向うの端へ松五郎が寝まして、互に枕を附けると、茂之助は胸に一物《いちもつ》有りますからわざとグウー/″\と鼾を掻いて居りますが、少しも寝ない。何うして居やアがるか見て遣りたいと、眼を瞑《ねむ》って居ながらも時々細目に開いて、態《わざ》とムニャ/\と云いながら、足をバタァリと遣る次手《ついで》にグルリと寝転《ねがえ》りを打ち、仰向《あおむけ》に成って、横目でジイとお瀧の方へ見当を附けると、お瀧はスヤリ/\と寝て居る様子、松五郎もグウー/\と鼾を掻いて居ますから、いまにお瀧が彼方《あっち》へ往《い》くに相違ないと思って居る中《うち》に、次第/\に夜が更けて来る、渡良瀬川《わたらせがわ》の水音高く聞えるように成ると、我慢して起きて居たいが飲める口へ少し過したので、ツイとろ/\と茂之助が寝まして、不図《ふと》眼を覚して見ると、お瀧が竈《へッつい》の下を焚《た》き附けて居て、もう夜が白んで、松五郎は居りませんから、アヽ失策《しま》ったと思い、
茂「お瀧/\」
瀧「あい」
茂「松さんは何うしたえ」
瀧「あの誠になにだがお暇乞《いとまごい》をしなければ成りませんけれども、少し用が有ると云って早アく帰りました、又四五日内に来ると云いましたよ」
茂「はアー然うか、少し頼みたい事が有ったのに……アヽー眠い/\、何故此の頃は斯んなに眠いんだろう」
 と瞞《ごま》かして居りましたが、何んでも己がトロリと寝た間《ま》に逢引をしたに違いねえ、と疑心が晴れませんから、又一日|隔《お》いて松五郎を呼び、酒を飲まして例《いつも》の通り蚊帳を釣って三人の床を展《の》べ、茂之助は仰臥《あおむけ》になって横目で二人の様子を見ながら、空鼾《そらいびき》を掻く中《うち》に、余《あと》の二人もグウー/\と寝て居ます。時々細目に開いては見ますけれども、二人とも側へ寄る様子も有りません。お瀧は茂之助の方を向いて寝て居ります。

        六

 茂之助は、二人の様子に目を付けて居るが、何うしても知れない。何んでも是は明方人の起る時分に何うかするに違い無い、今夜こそは、と心を締めて居る中《うち》に、漸々《だん/″\》眠くなって来たから、腿《もゝ》を摘《つめ》ッたり鼻を捻《ねじ》ったりして忍耐《がまん》しても次第に眠くなる、酒を飲んで居るからいけません。明方になると、トロ/\と寝ました。……アヽ失策《しま》ったと眼を開《あ》いて見ると、お瀧は竈《へッつい》の下を焚付けて居ますが松五郎は居りません。
茂「お瀧/\」
たき「あい」
茂「松公は何うした」
たき「早く帰りました」
茂「少し用が有るんだッけ……アヽーまた明日《あした》呼ぼう」
 と云って同じく遣って見たがいけません。口惜《くやし》い/\と思って不図考え付いてお瀧を呼び、
茂「お瀧、己は東京へ金策に往って事に寄ると横浜へ廻って来る」
 と宅《うち》を出まして、直《じき》近村の太田の知己《しるべ》の家に居て、日の暮れるを待って、ソッと土手伝いに我家へ忍んで来ました。畠には桐を作り、大樹が何十本となく植込んで有り、下は一杯の畠に成って居ります。裏手の灰小屋へ身を潜め、耳を引立《ひった》て宅の様子を聞いて居りますると、お瀧が爪弾《つめびき》で何か弾いて居ります。此の爪弾が合図に相違ないと思って居る中《うち》に、夜《よ》は次第に更けわたり、しんと致すと、何処《どこ》の寺の鐘か幽《かす》かにボーンと聞え、もう十二時少し廻ったかと思う時刻に、這入って来たのは村上松五
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