幸「私もお屋敷へお出入をした者で、大概お屋敷は存じて居りますが、貴方の御様子は御家中でも無いようですが、御直参《ごじきさん》かね」
女「はい」
 と段々聞かれゝば聞かれるほど胸が迫ると見えて、彼《か》の女は下を向いて居りますと、膝へバラ/\涙を落します。
由「旦那……少しお泣きのようだから、こんなことは深く聞かれません、此処で貴方癪でも起されると旦那が押すような事が出来ます、峰松は今日《こんにち》は居りませんから、二人で間に合えば宜しいが……御心配と見える」
幸「どう云う心配で」
女「はい……兄が放蕩で、私は田舎の事はさっぱり存じませんから田舎へ連れて往って、良い処へ奉公をさせる、却《かえ》って田舎には豪農や豪商があるのだからと申しまして、私も東京に居りまして知る人に顔を見られるも、恥かしゅう存じますから、そんなら田舎の奉公をしようと申しまして、宇都宮《うつのみや》へ参りますと、私《わたくし》は兄に欺《だま》されまして置去になりました」
由「酷《ひど》い兄《あに》さんで……旦那酷いじゃアございませんか、お兄い様がどうも……原の中か何《ど》っかでしょう」
女「いえ何、イエもうアノ……これで宜しゅうございます」
由「これで宜しいたって、言いかけて止《や》めてはいけません、搆《かま》わないから後《あと》をお聞かせなさい是非……まアお坐りなさい」
幸「お気の毒なわけでねえ」
由「えゝ貴方、どう云う訳で」
幸「失礼ながら何んですか、お兄い様は矢張《やっぱり》士族様か、違ったお兄い様かえ」
女「いえ真実の兄でございます」
由「どうしてお妹御《いもとご》を宇都宮へ置去に、何ですか宿屋かえ」
女「いえ、私はさっぱり存じませんで居りましたが、往来の方から這入りませんで裏路《うらみち》から這入りますと、広い庭がございまして、それから庭伝いに座敷へ通りまして、立派な席へ参って居ります中《うち》に、アノ表の方へ参って掛合を致して、私をソノ或処《あるところ》へ、なんで、質入れに致してお金を沢山借りて、兄は表から逃亡《だしぬけ》を致したのでございます」
由「こりゃアどうも酷うごすね、貴方を質に入《いれ》て流す気ですね、酷いこと」
幸「どうも酷い事をしたものですねえ、そりゃアまア貴方も恟《びっく》りなすったろう、後《あと》で勝手も知れず」
女「段々聞きますと宇都宮で娼妓《つとめ》をするだけの証文を貼って、アノお前も得心の上で証文は是れ/\で、金も五十円兄様に渡したから何んでもと申されますから、私も恟り致しまして、其様《そん》な事は出来ません身の上でございまして、老体の母もございますから、母に相談の上に致さんければなりませんと云って、十日のあいだに情を張りまして泣き明して居りました処が、此家《こゝ》の關善さんが日光からお帰りに宇都宮へお泊りで、段々様子をお聞きなすって、気の毒な事と御親切に五十円を貢《みつ》いで下すって、關善さんに連れられて参って、お手伝を致して居りますが、とても宿屋奉公では五十円と云うお金は返す事は出来ません、鈴木屋さんで人が足りないから御祝儀も貰えるし、そうしたが宜かろうと申されますが、關善さんと鈴木屋さんと両方で稼ぎを致しても五十円のお金では幾年此処に奉公をして居りましたら返せますか、承われば夏ばかり繁昌致しても、冬の中《うち》は遊んで居ると申しますから、中々お金の返しようもございません」
幸「それはどうも、で其の東京にお兄《あに》いさんが逃げてしまっても、お母様《っかさま》がお在《いで》なさるか、お母様はさぞお驚きで」
女「母はもう六十二になりまして、母はアノ恟りいたしまして身体も大分|悪《あし》くなりましたが、此方《こっち》より手紙を出しましても向《むこう》から参ることも出来ませんで、此の頃は兄が諸方の借財方に責められまして、僅《わず》かばかりの夜の物諸道具も取られまして、此の頃は煩《わずら》って」
由「へえ、どうもあるねえ、一度ね、私《わし》は伊豆《いず》の網代《あじろ》へ行ったことがある、其処に売られて来た芸妓《げいしゃ》は、矢張叔父さんに欺《だま》されて娼妓《じょろう》にされまして来たと云うので、涙を落しての話で有ったが、それはお気の毒な事だねえ、左様でげすか、お屋敷は何方《どちら》でございます」
女「屋敷の名前なぞは親共の耻になりますから、それだけは御免遊ばして」
幸「ハヽ、それじゃアお聞き申しますまい」
由「旦那、そんな遠慮をしてはいけません」
幸「それでも耻になると仰しゃるから」

        四十二

由「貴方、旦那が御親切だから貴方の身の上を心配して、お名前をお聞きなさるので、貴方は親の耻になると云うは御尤《ごもっとも》だけれども、何もこれは決して言いませんよ、誰が聞いても……私《わたし》は随分お饒舌《しゃべり
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