》りませんよ」
巡「参らぬと云う事があるものか」
 と分らぬ奴もあるもので、田舎育ちでも今は開けましたが、其の頃は無学文盲の無法者がありまして、強情を張ってお困りでございますが、これを丹誠して引張《ひっぱ》って行《ゆ》く、実に御難儀なお役で。
巡「参れ/\」
 と手を捉《と》って引こうとしたが大力無双の市四郎が少しも動かず、引く途端に官棒でお打ちなすったのではありませんが、グッと引く機《はず》みに市四郎の手先へ棒が当ると、市四郎が怒《おこ》って、
市「や私《わし》を打《ぶ》ったな、貴方《あんた》なんで打った、無暗《むやみ》に打って済むか、お役人が人民《ひと》を打殴《ぶんなぐ》って済むか、貴方では分らねえから、もっと鼻の下に髯の沢山《たんと》生えた方にお目にかゝり、掛合いいたしやす、さア一緒に行《い》きましょう」
 と反対《あべこべ》に巡査さんの手を捉って向山の坂を下りましたが、世の中には理不尽な奴もあれば有るもので、是からお調べに相成ります。

        三十一

 さて引続きまする伊香保の湯煙のお話でございます。向山の玉兎庵で五長太という士族を谷へ投込みました者は、大力無双の筏乗市四郎という者でありますが、此の人は誠に天稟《うまれつき》侠客《きょうかく》の志がございまして、弱い者を助け、強い者は飽くまでも向うを張りまするので、村方で困る百姓があれば、自分も困る身上《みじょう》でございますが、惜し気もなく恵むという極《ごく》義堅い気質でございまして、三の倉に居ります中《うち》は御領主の小栗上野介様が討たれました時其の村方を御支配なさるお方が彼様《あん》なお死に様《よう》をなすって誠にお気の毒の事というので、其の人に附いて居りました忠義の御家来、老人であるからというので自分方へ引取って三ヶ年介抱を致して、此の人が此の市四郎のお蔭で見送りをされますなどという細かきお話は後《あと》で申上げますが、中々聞かない気質で、其の代り此の市四郎は学問がございませぬから開化の事は頓と心得ませぬが、巡査|様《さん》でも何でも見境なく無暗《むやみ》に強情を張って巡査様の手を取って向山の坂を降り、また登って派出所に参りました。巡査様もお驚きで、左様なる暴な奴に逢っては仕方がないもので、此の事を警部|様《さん》へお伝えなされた事でございますから、警部公お出向きなされたが、恐れる気色《けしき》もなく仁王立に突立って居ります。
警「これ、手前か向山の玉兎庵で口論の末士族|体《てい》の者を谷川へ打込《ぶちこ》んじゃというが、それは何うも宜しくない、どういう訳でそういう乱暴な事を致すか」
市「先刻《さっき》も私《わし》が云います通り、乱暴でねえで、何方《どっち》が乱暴だかねえ、貴方《あんた》の方で能く調べねえで無闇に来《こ》う/\と云って此処まで連れて来て、私もコレ用のある人間で、一日|幾許《いくら》って手間を取って居る者が、暇ア消《つぶ》して此処まで引張られるは難儀だから、参《めえ》らねえというものを何んでもという、私ア暇を消して参《めえ》ったが、私が悪《わり》いか向うな士族とかいうが悪いか見定めて人を引張ったら宜かろう」
警「そうじゃが、其の方は谷川へその士族体の者を打込んだという、巡査が確《しか》と是を見届け、又福田連藏方からも届けがあった故に出張した処《とこ》が、全く其の方が投込んだという、其の方住所姓名は何と申すか、えゝ其の方の住所姓名を申せ」
市「何も私《わし》ア……住持に悪体《あくてえ》を清兵衞《せいべえ》が吐《つ》いたという訳でねえが、ありゃア三の倉の間違えでしょう」
警「いや其の方の住んで居《お》る所は何と申す」
市「私《わし》の居《い》る処《とこ》か、私の居る処は吾妻郡の市城村で」
警「其の方は姓名は何と申すか」
市「姓名てえ何か」
警「其の方の名」
市「己《おら》ア名か、己ア市四郎と云います」
警「営業は何か」
市「えゝ」
警「営業」
市「なに」
警「分らん奴じゃ、ウーン営業を知らんてえ事があるか」
市「知りません、其様《そん》な事どうして、只の字せえ知らねえで習わねえに英語なぞ何《な》に知る訳がねえ、それは外国人《げえこくじん》のいうことだ」
警「英語ではない、営業というは其の方の渡世《なりわい》商売じゃ」
市「商売《しょうべえ》か商売は市四郎てえ筏乗でがんす」
警「何故《なにゆえ》あって向山へ今日《こんにち》参ったか」
市「何をたって連藏さんとは心安い者《もん》で、茸《きのこ》を些《ちっ》とばかり採ったから商売の種に遣りてえと思って持って来て、縁側で一服|喫《や》って居ると、向うの離座敷で暴れ廻る客があるだ、若い衆を擲《なぐ》っていけえこともねえ皿を打壊《ぶちこわ》したりして見兼ねたから、仲へ這入《へえ》って何故《なぜ》此様《こ
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