ふら/\ッと起上《たちあが》って、自分の帯を解いて竈《へっつい》の角《かど》から釜の蓋へ足を掛けて、梁《はり》へ二つ三つ巻きつけ、頸《くび》へかけて向うへポンと飛んで遂《つい》に縊《くび》れて死にました。誠に情ないことで。処へ提灯を点けて松五郎とお瀧は雨も止みましたから帰って来て見ると此の始末。さア何うしたのだろう鮮血淋漓《ちみどりちがい》、一人は吊下《ぶらさが》って居るから驚きまして、隣と云っても遠うございますから駈出して人を聚《あつ》めて来ましたが、此の儘に棄て置く訳にも往《い》きません、此の段を直ぐ訴えて宜かろうと云うので、それから警察署へ訴える事に相成りまして、検死の査官が来られてお調べになりまして、直ぐ奧木佐十郎の処へお呼出しでございます。佐十郎も一通りならん驚きで、布卷吉を連れて飛んで参りまして、段々お調べになって、尚お松五郎夫婦の者を調べると、茂之助が軽躁《かるはずみ》な事を為《し》はしないかと案じて来たから、どうか其様《そん》な事のないようにと存じて頼まれても、一存で挨拶も出来ませんから、夫を福井町へ呼びに往《い》きますると、大雨に雷鳴《かみなり》、是々の間手間を取って帰って見ますると、留守中に斯様な次第と云う。段々調べると、成程店受の処に居りました時間もありますし、江川村から出た時間もありますから全く間違えて女房を殺し、転倒《てんどう》して縊《くび》れて死んだ事であると分ったので事果てましたから、死骸はまず佐十郎方へ引取らせて、野辺送りをいたしました。初めは少しむずかしかったが、松五郎お瀧も別に処分もありませんで、それなりに事済みになりましたが、松五郎お瀧は此の辺の村の者に憎まれて居《い》られませんから、早々|世帯《しょたい》を仕舞って、信州へと云うので旅立ちました。

        十九

 お話二つに分れまして、これは明治七年六月の末のお話でござります。夏になると湯治場が流行《はや》りますが、明治七年あたりは湯治場がまだそろ/\是から流行って来ようと云う端緒《こぐち》でございました。熱海《あたみ》、修善寺《しゅぜんじ》、箱根《はこね》などは古い温泉場でございますが、近年は流行《りゅうこう》いたして、また塩原《しおばら》の温泉が出来、或《あるい》は湯河原《ゆがわら》でございますの、又は上州に名高い草津《くさつ》の温泉などがございます。先達《せん
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