後から参ります、左様なら宜しく」
かね「何んだよお前、御親切に知らせて下すったのに何故|直《すぐ》に往かないんだよ」
長「なぜったって此の形《なり》じゃア往かれねえ……手前《てめえ》のを貸しねえ」
かね「いやだよ私の着物がありゃアしないよ」
長「手前は宅《うち》に居るんだからこの半纒を着て居やアな」
かね「そんなものを着ては居られません、お尻がまるで出てしまうよ」
長「湯巻《ふんどし》を締めてりゃア知れないよ」
かね「人が来ても挨拶が出来ないよ」
長「面と向って話をして、後《あと》へ退《さが》る時に立てなければ後びっしゃりをすればいゝ」
かね「おふざけでないよ」
長「そんな事を云わねえで貸しな」
と無理やりに女房の着物を引剥《ひっぱ》いでこれを着て出掛けました。
三
左官の長兵衞は、吉原土手から大門《おおもん》を這入りまして、京町一丁目の角海老楼《かどえびろう》の前まで来たが、馴染の家《うち》でも少し極りが悪く、敷居が高いから怯《おび》えながら這入って参り、窮屈そうに固まって隅の方へ坐ってお辞義をして、
長「お内儀《かみ》さん、誠に大御無沙汰をして極りがわるくって、何《な》んだか何《ど》うもね……先刻《さっき》藤助どんにも然《そ》う申しやしたんですが、余《あんま》り御無沙汰になったんで、お見違《みそ》れ申すくれえでごぜえやすが、何時《いつ》も御繁昌のことは蔭ながら聞いておりやす、誠に何んとも何うもお忙がしい中をわざ/\お知らせ下すって誠に有難うござえやす……お久ア此処《こゝ》に打《ぶ》ッ坐《つわ》ってゝ、宅《うち》の者《もん》に心配《しんぺえ》を掛けて本当に困るじゃアねえか、阿母《おっか》アはお前《めえ》を探しに一の鳥居まで往ったぜ、親の心配は一通りじゃアねえ、年頃の娘がぴょこ/\出歩いちゃアいけねえぜ、何んで此方様《こちらさま》へ来てえるんだ、こういう御商売柄《ごしょうべえがら》の中へ」
内儀「それ処《どこ》じゃアないよ、こうしてお前の事を心配して来たのだ、這入りにくがって門口をうろ/\していたが、切羽詰りになって這入って来たんだが、私も忘れちまったあね、お前が仕事に来る時分、蝶々髷《ちょう/\まげ》に結ってお弁当を持って来たっきり、久しく会わないから、私も忘れてしまったが、此処《こゝ》へ来て、此の娘がおい/\泣いて口が利けないんだよ、それからまアどうしたんだ、何か心配事でも出来たのかというと、此の娘《こ》が親の恥を申しまして済みませんけれども、親父《おやじ》がまだ道楽が止みませんで、宅《うち》へも帰らず、賭博《いたずら》ばかり烈しく致して居りますが、あすが日、親父の腰へ縄でも附きますような事がありますと、私も見てはいられませんが、漸々《だん/\》借財が出来まして、何《ど》うしても此の暮が行立《ゆきた》たず、夫婦別れを為《し》ようか、世帯をしまおうかというのを、傍《そば》で聞いて居りますと、私も子供じゃアありませんから、聞き捨《ずて》にもなりませんので、誠に申し兼ねましたが、お役には立ちますまいけれど、私の身体を此方《こちら》さまへ、何年でも御奉公致しますから、親父をお呼びなすって私の身の代《しろ》を遣《や》って、借財の方《かた》が付いて、両親|交情好《なかよ》く暮しの附きますように為てやりとうございます、私がこういう処へつとめをしていますれば、よもや親父も私への義理で、道楽も止もうかと存じます、左様《そう》なれば親父への意見にもなりますから、どうぞ私の身体をお買いなすって下さいと、手を突いて私へ頼むから、私も恟《びっく》りしたんだよ、本当に感心な事だって、当家《うち》にも斯《こ》うやって沢山|抱《かゝえ》の娘《こ》もあるが、年頃になって売られて来るものは大概|淫奔《いたずら》か何か悪い事を仕て来るものが多いんだのに、親の為に自分から駈込んで来て身を売るというような者が又とある訳のものじゃアないよ、本当にこんな親孝行者に苦労をさせて好《い》い気になってちゃア済まないよ、お前|幾歳《いくつ》におなりだ、四十の坂を越して、何うしたんだねまア、此の娘《こ》に不孝だよ」
長「えゝ……誠にどうも面目|次第《しでえ》もごぜえやせん、そんな事と知らねえもんですからね、年頃にもなってやすから、ひょッと又悪い者が附いて意地でも附けて遠くへ往っちまったかと思って、嬶《かゝ》アも驚きやして、方々探して歩いた訳なんで、へえ、お久堪忍してくれ、誠に面目次第もねえ、汝《てめえ》にまでおれは苦労をさせて」
と云いさして涙を浮《うか》め、声を曇らし、
長「実は己《おら》アお内儀さんの前《めえ》だが、汝《てめえ》に手を突いて謝るくれえ親の方が悪《わり》いんだが、汝の知ってる通り、此の暮は何うしても行立たね
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