もいが》けない……あの旦那様きんが」
山「なに」
照「あのそれ団子屋のきんが」
きん「おや/\あの山平様、誠に何うもまア貴方何う遊ばしたかと存じて居りましたが、宜くまアそれでも……私《わたくし》は何うもお見掛け申したお方だと考えて居りましたが、貴方の方がお忘れ遊ばさずにきんと仰しゃって下すった」
照「私は彼《あ》の時は元服前で見忘れたろうが、私は何うも見た様だと思い、お前が口を利く声柄《こえがら》で早く知れましたよ」
きん「誠に何うも思掛けない、まア/\旦那様御機嫌宜しゅう、何うしてね此処に入らッしゃるのでございますえ」
山「はい長い間旅をして、久しく播州の方へ参って、少しの間|世帯《せたい》を持って居たり、種々《いろ/\》様々に流浪致し、眼病に成ってから故郷懐かしく、実は去年から此処へ来て世帯《しょたい》を持って居る」
きん「何うも些《ちっ》とも存じませんよ、尤も此方《こちら》の方へは滅多には参りませんけれどもねえお嬢様、あらついお嬢様と云って、あの御新造様え、私《わたくし》の亭主の傳次と申します者は旅魚屋でございますが、商売に出ても賭博《ばくち》が好きで道楽ばかりして、女房を置去り同様音も沙汰もしずに居ましたが、旅魚屋の仲間の者が帰って来て聞きましたら、三年|前《あと》に信州の葉広山とか村とかいう処で悪い事をして斬殺《きりころ》されたと聞きましたが、それとは知らず一旦亭主にしましたから、私《わたし》は馬鹿が夫を待つという譬《たとえ》の通り、もう帰るかと待って居りましたが、三年経っても音沙汰がない所へ、それを聞いてから、日は分りませんが私《わたくし》もまア出た日を命日としまして、猿江《さるえ》のお寺へ今日お墓参りをして、其処に埋めた訳でも有りませんけれども、まア志のお経を上げて帰って来る道で、あなたにお目に懸るとは本当にまア思掛けない事でねえ」
照「本当にねえ、だがお前は矢張《やっぱり》あの上野町に居るのかえ」

        六十一

きん「はい上野町に居りましたが、彼《あ》の近辺《きんじょ》は家《うち》がごちゃ/\して居ていけませんし、ちょうど白山に懇意なものが居りまして、あちらの方はあの団子坂の方から染井《そめい》や王子《おうじ》へ行く人で人通りも有りますし……それに店賃《たなちん》も安いと申すことでございますから、只今では白山へ引越《ひっこ》しまして、やっぱり団子茶屋をして居りますがねえ、何うも何でございますね、何うもつい此方《こちら》の方へは参りませんで」
山「じゃア何か屋敷の様子はお前御存じだろうが、武田や何か無事かえ」
照「あ、お父様《とっさま》やお母様《っかさま》はお達者かえ…今以て帰る事も出来ない身の上で」
きん「あの御新造様も大旦那様もお逝去《かくれ》になりました、それに御養子はいまだにお独身《ひとり》で御新造も持たず、貴方がお出《いで》遊ばしてから後《あと》で、書置《かきおき》が御新造様の手箱の引出《ひきだし》から出ましたので、是は親不孝だ、仮令《たとえ》兄の敵を討つと云っても、女一人で討てるもんじゃ無い、殊に亭主を置いて家出をしては養子の重二郎に済まない、飛んだことだと云って御新造は一層御心配遊ばして、お神鬮《みくじ》を取ったり御祈祷をなすったりしましたが、それから二年半ばかり経ちまして、御新造がお逝去になり、それから丁度四年ほど経って大旦那様もお逝去」
照「おやまア然《そ》うかえ、心得違いとは云いながら親の死目《しにめ》にも逢われないのは皆《みん》な不孝の罰《ばち》だね……私も家《うち》を出る時には身重だったが、翌年正月生れたんだよ」
きん「そう/\お懐妊でしたね」
照「それが女の子で、旅で難儀をしながらも子供を楽《たのし》みに何うかしてと思って、播州の知己《しるべ》の処へ行って身を隠し、少しの内職をして世帯《しょたい》を持っていた所が、其処《そこ》も思う様《よう》に行かず、それから又長い旅をして、その娘《こ》も十五歳まで育てたが亡《なく》なったよ」
きん「へえお十五まで、それは嘸《さぞ》まア落胆《がっかり》遊ばしたでございましょう、お力落しでございましょう御丹誠甲斐もない事でねえ」
照「まア種々《いろ/\》話も聞きたいから少し……」
山「何だか表が騒がしいが何だ」
 と云って聞いて居ると、ばら/\/\/\と人通りがして、
甲乙「なに今敵討が始まった、巡礼の娘と大きな侍と切合《きりあい》が始まった、わーッ/\」
 と云って人が駈けて通るから山平は驚きまして、
山「これ何を、それ大小を出しな」
きん「何でございますえ」
山「何でも宜しいから大小を……きんやお前|此処《こゝ》に居て…お前居ておくれ、二人|往《い》かなければならんから留守居をして」
金「何うなすったんでございますえ」
山「何うなすった所
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