なら身請《みうけ》しようと云い、大金を出して其の翌年の二月藤屋の家《うち》へ入る。手に採《と》るな矢張野に置け蓮華草《れんげそう》、家《いえ》へ入ると矢張並の内儀《おかみ》さんなれども、女郎に似合わぬ親切に七兵衞の用をするが、二つになるお繼《つぎ》という女の子に九つになる正太郎《しょうたろう》という男の子で悪戯盛《いたずらざか》り、可愛がっては居りますけれども、何《ど》うも悪態をつき、男の子はいかんもので、
正「己《おら》ん処《とこ》のお母《かあ》はお女郎だ、本当の好《よ》い花魁ではない、すべた女郎だ」
 なんどと申しますから、
増「小憎らしい、此の子供《がき》は悪態をつく」
 と頬片《ほゝぺた》を捻《つね》る、股たぶらを捻る、女郎は捻るのが得手で、禿《かむろ》などに、
「此の子供《がき》アようじれってえよ」
 などゝ捻るものでございます。正太郎を其の如くに捻ったり打擲《ちょうちゃく》を致しますから痣《あざ》だらけになります。さア奉公人は贔屓《ひいき》をする者もあり、又|先《せん》の内儀《おかみさん》が居《お》れば斯《こ》んな事はないなどと云い、中には今度の内儀は惣菜の中に松魚節《かつおぶし》に味淋《みりん》を入れるから宜《い》いなどと小遣《こづかい》を貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼方此方《あちらこちら》へ付きまして内がもめまする。先妻は葛西《かさい》の小岩井村《こいわいむら》の百姓|文左衞門《ぶんざえもん》の娘で、大根畠《だいこんばたけ》という処に淺井《あさい》様と云うお旗下《はたもと》がございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それに極《ごく》堅い人で、家を治めて居りました処が、夭死《わかじに》を致しましたけれども、田舎は堅いから娘を嫁付《かしづ》けますと盆暮には屹《きっ》と参りますが、此方《こちら》では女房が死んでからは少しも音信《おとづれ》をしない、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿を脊負《しょ》って婆様《ばあさま》が出掛けて来ます。
婆「はア御免なせえ」
男「へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね」
婆「誠に無沙汰アしました、皆《みんな》は変りねえか」
男「へい皆《みな》変る事もござりません…あの坊ちゃん田舎のお婆さんがお出でなすったよ」
 と云うと嬉しいから、ちょこ/\と駈出して来て、
正「お婆さんお
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