致さんではならんと心配致して居りましたが、丁度三月末の事、善右衞門が遅く帰りまして、
善右衞門「一寸《ちょっと》お前」
妻「お帰り遊ばせ」
善「いや帰りにね武田へ寄って来た」
妻「おや、大分《だいぶ》お帰りがお遅うございますから、何処《どこ》かへお立寄と存じまして」
善「少し悦ばしい話があるが」
妻「はい」
善「斯《こ》う云う訳だが、予《かね》てお前も知っての通り、昨年悴が彼《あ》アいう訳になって私《わし》も最《も》う勤《つとめ》は辛いし、大きに気力も衰えたから、照に何《どん》な者でも養子をして、隠居して楽がしたい訳でもないが、養子を致さんではと思って居た処が、幸いと武田の次男|重二郎《じゅうじろう》が養子になるように相談が極《きま》ったよ」
妻「おやまアそれは何《ど》うも此の上もない事でございます、お屋敷|中《うち》でも親孝行で、武芸と云い学問と云い、あんな方はございません、評判の宜《よ》い方でござりますねえ」
善「それに彼《あれ》は武田流の軍学を能《よ》くし、剣術は真影流の名人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が練《ね》れて居て、如何《いか》にも武芸と云い学問と云い老年の者も及ばぬ、実に彼《あ》のくらいの養子は沢山《たんと》あるまい、此の上もない有難い事でのう、早く照をお呼びなさい」
妻「はい、お照や一寸|此処《こゝ》へお出《い》で、お父様《とっさま》がお帰りになったよ、さア此処へお出で」
御重役でも榊原様では平生《へいぜい》は余り好《よ》い形《なり》はしない御家風で、下役の者は内職ばかりして居るが、なれども銘仙《めいせん》の粗《あら》い縞の小袖に華美《はで》やかな帯を〆《し》めまして、文金の高髷《たかまげ》で、お白粉《しろい》は屋敷だから常は薄うございますが、十九《つゞ》や二十《はたち》は色盛り、器量|好《よし》の娘お照、親の前へ両手を突いて、
照「お帰り遊ばせ」
善「はい……此処へお出で、今お母様《っかさま》にお話をしたが、お兄様《あにいさま》は去年あの始末、お前にも早く養子をしたいと思ったが、親の慾目で、何うかまア心掛のよい聟《むこ》をと心得て居ったが、武田の重二郎が当家へ養子に来てくれる様に疾《と》うから話はして置いたが、漸《ようや》く今日話が調《とゝの》ったからお母様と相談して、善は急げで結納の取交《とりかわ》せをしたいが、媒妁人《なこう
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