て、聊《いさゝ》か田畑を持つ様になって村方でも何うか居《お》り着いて呉れと云うのだが、永住致すには妻《さい》がなけりア成らぬが、貴公今の婦人に手蔓《てづる》が有るなれば話をして、拙者の処の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が媒介人《なこうど》にでも、橋渡しにでもなって、貰受《もらいう》けて呉れゝば多分にお礼は出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金を遣《つか》ってしまってはいかぬけれども、貴公も左様《そう》して遊んで居るより村外れで荒物|店《みせ》でも出して、一軒の主《あるじ》になって女房子《にょうぼこ》でも持つようになれば、親類|交際《づきあい》に末永く往《ゆ》き通いも出来るから」
傳「有難うがす、私《わっち》も斯う遣《や》ってぐずついて居ても仕様がねえから女房《にょうぼう》も置去《おきざり》にしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音信《たより》もしませんので、向うでも諦らめて、今では団子を拵《こしら》えて遣って居るそうですが、そうなれば有難い、力に成って下されば二十両戴かなくっても宜《よ》い、併《しか》し苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、私《わたし》が話せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をしましょう」
典「早いが宜《い》いが」
傳「えゝなに直《すぐ》に往《い》きましょう」
 と止せば宜《よ》いに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の処へ掛合に参る。是が間違の端緒《こぐち》、この娘お山《やま》は前《ぜん》申上げた白島山平の娘で、弟は山之助《さんのすけ》と申して、親山平は十六年|前《ぜん》から行方知れずになり、母は亡《な》くなって、この白島村の伯父の世話になって居りますが、これから姉妹《きょうだい》が大難に遭いますお話、一寸一息つきまして。

        三十二

 おやま山之助の姉弟《きょうだい》は、白島山平が江戸詰になりましてから行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はおやまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年の往《ゆ》きません二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父|多右衞門《たえもん》が引取り、伯父の手許《てもと》で十五ヶ年の間養育を受けて成人致しまして、姉は二十二歳|弟《おとゝ》は十七で、小造《こづくり》な華者《きゃしゃ》[#「華者」はママ]な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居りますが、堅い
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