なお薬《くすり》を頂《いたゞ》くのみならず、お料理《れうり》の残余物《あまりもの》まで下《くだ》され、有難《ありがた》う存《ぞん》じます、左様《さやう》ならこれへ頂戴《ちやうだい》致《いた》しますと、襤褸手拭《ぼろてぬぐひ》へ包《くる》んであつた麪桶《めんつう》を取出《とりだ》して、河合金兵衛《かはひきんべゑ》の前《まへ》へ突出《つきだ》すのを、金兵衛《きんべゑ》手に取つて見ますると、遠州《ゑんしう》所持《しよぢ》の南蛮砂張《なんばんすばり》の建水《みづこぼし》でございます。主「まアお前《まへ》、結構《けつこう》な建水《こぼし》だが此建水《このこぼし》をお前《まへ》は、何《なに》か麪桶《めんつう》の代《かは》りに使《つか》ふのか。乞「はい最《も》う何《な》にも彼《か》も売《う》り尽《つく》しましたが、此品《これ》は私《わたくし》の秘蔵《ひざう》でございますから、此品《これ》だけは何《ど》うも売却《はな》すことが忌嫌《いや》でございますから、只今《たゞいま》もつて麪桶《めんつう》代《がは》りに傍離《そばはな》さずに使つて居《を》ります。主「ンー、これは恐入《おそれい》つたね、お前《まへ》はお茶人《ちやじん》だね、あゝこれ/\彼《あ》の悪い膳《ぜん》に、……向《むか》う付肴《づけ》が残余《のこ》つて居《ゐ》るのを附《つ》けて、お汁《しる》を附《つ》けてチヨツと会席風《くわいせきふう》にして……乃公《わし》もね茶道《ちや》が嗜《す》きだからね、お前《まえ》が何《ど》うも麪桶《めんつう》代《がは》りに砂張《すばり》の建水《みづこぼし》を持《も》つて居《ゐ》るので感心したから、残余肴《あまりもの》だが参州味噌《さんしゆうみそ》のお汁《しる》もあるから、チヨツと膳《ぜん》で御飯《ごぜん》を上《あ》げたい、さア家内《うち》へ上《あが》つてね、何《なに》もないホンの残余肴《あまりもの》だが御飯《ごぜん》も喫《た》べて下《くだ》さい、さア此処《これ》へお入《はい》り…。乞「へい/\……何《ど》う致《いた》しまして、此通《このとほ》り穢《きたな》うございますから……。主「まア宜《い》いよ/\……此処《こゝ》を明けて置いては、雪が吹《ふ》ツ込《こ》むから疾《はや》く此処《これ》へお入《はい》り、……乃公《わし》が寒いから……。乞「へい/\有難《ありがた》う存《ぞん》じます、何《ど》うも折角《せつかく》のお厚情《なさけ》でございますから、御遠慮《ごゑんりよ》申上《まうしあげ》ませぬでお言葉《ことば》に従《したが》つて、御免《ごめん》を蒙《かうむ》ります。主「どうもお人品《ひとがら》なことだ、違《ちが》ふのうー……さア/\此方《こつち》へお入《はい》り。乞「へい/\。主「足が汚《よご》れて居《ゐ》るな……これ/\徳次郎《とくじらう》/\。徳「はい。主「此処《こゝ》へ来《き》ての、此乞食《このこじき》の足を洗つて遣《や》れ。徳「乞食《こじき》の足《あし》イ……ンー/\/\。主「何《なに》を云《い》つて居《ゐ》る、当時《いま》は事由《ゆゑ》あつて零落《おちぶ》れてお出《い》でなさるが、以前《もと》は立派《りつぱ》なお方《かた》で、士族《しぞく》さんだか何《なん》だか知《し》れないんだよ、大事《だいじ》にしてお上《あ》げ、陰徳《いんとく》になるから。徳「(小声《こごゑ》)陰徳《いんとく》でも乞食《こじき》の足を洗ふのは忌嫌《いや》でございますなア。とグヅ/\云《い》ひながら、忌嫌々々《いや/\》足を洗つて遣《や》る。乞食《こじき》は頻《しき》りに礼《れい》を云《い》ひながら雑巾《ざふきん》で足を拭《ぬぐ》ひ、漸《や》う/\の事で板《いた》の間《ま》へ坐《すわ》つて、乞「どうも何《なに》から何《なに》までお厚情《なさけ》に預《あづ》かりまして、有難《ありがた》う存《ぞん》じます。主「これ/\膳《ぜん》を持《も》つて来《き》な……お汁《しる》を熱《あつ》くして遣《や》るが宜《い》い……さア/\お喫《た》べ/\剰余物《あまりもの》ではあるが、此品《これ》は八百膳《やほぜん》の料理《れうり》だから、そんなに不味《まづ》いことはない、お喫《あが》り/\。乞「へい/\有難《ありがた》う存《ぞん》じます……([#ここから割り注]泣きながら伜に向つて[#ここで割り注終わり])まア八百膳《やほぜん》の御料理《おれうり》なぞを戴《いたゞ》きますといふのは、是《これ》はお前《まへ》なんぞはのう、喫《た》べ初《はじ》めの喫《た》べ納《をさ》めだ、斯《か》ういふお慈悲《なさけ》深《ぶか》い旦那様《だんなさま》がおありなさるから、八百膳《やほぜん》の料理《れうり》を無宿者《やどなし》に下《くだ》されるのだ、お礼《れい》を申《まう》して戴《いたゞ》けよ、お膳《ぜん》で戴《いたゞ》くことは、最《も》う汝《きさま》生涯《しやうがい》出来《でき》ないぞ。子「あい……旦那様《だんなさま》お有難《ありがた》うございます。と可愛《かあい》らしい手を突《つ》いて、頸《くび》を横にして挨拶《あいさつ》をします挙動《やうす》が手の突《つ》きやうから、辞儀《じぎ》の仕方《しかた》がなか/\叮嚀《ていねい》でげす。主「ンー……お前様《まへさん》も何《な》んだらうね……。乞「へい/\。主「以前《いぜん》は然《しか》るべきお方《かた》の成《な》れの果《はて》で、まア此時節《このじせつ》が斯《か》う変《かは》つたから、当時《いま》然《さ》ういふ御身分《ごみぶん》に零落《おちぶ》れなさつたのだらうが、何《ど》うもお気の毒なことで…。乞「はい旦那様《だんなさま》私《わたくし》も、賓客《きやく》を招《よ》ぶ時《とき》には八百膳《やほぜん》の仕出《しだし》を取寄《とりよ》せまして、今日《けふ》の向付肴《むかうづけ》が甘酢《あまず》の加減《かげん》が甘味過《あます》ぎたとか、汁《しる》が濃過《こす》ぎたとか、溜漬《たまりづけ》が辛過《からす》ぎたとか小言《こごと》を云《い》つた身分《みぶん》でございますが、当時《いま》罰《ばち》が中《あた》つて斯《か》ういふ身分《みぶん》に零落《おちぶ》れ、俄盲目《にはかめくら》になりました、可愛想《かあいさう》なのは此子供《このこぞう》でございます、何《な》んにも存《ぞん》じませぬで、親《おや》の因果《いんぐわ》が子に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《めぐ》りまして、此雪《このゆき》の降《ふ》る中《なか》を跣足《はだし》で歩きまして、私《わたくし》が負傷《けが》を致《いた》しますとお父《とつ》さん痛《いた》うないかと云《い》つて労《いたは》つて呉《く》れます、私《わたくし》の心得違《こゝろえちが》ひから斯様《かやう》に零落《れいらく》を致《いた》し、目《め》まで潰《つぶ》れまして、ソノ何《な》んにも知らぬ頑是《ぐわんぜ》のない忰《せがれ》に、斯《か》う難義《なんぎ》をさせますかと思ひますれば、誠にお恥《はづ》かしいことでございます。主「それは/\お気の毒なことだ、貴方《あなた》は以前《もと》はお旗下《はたもと》かね。乞「いえ/\。主「ンー……南蛮砂張《なんばんすばり》の建水《みづこぼし》は、是品《これ》は遠州《ゑんしう》の箱書《はこがき》ではないかえ。乞「へい……能《よ》う御存《ごぞん》じさまでございます、これは貴方《あなた》、遠州所持《ゑんしうしよぢ》でございまして、其後《そののち》大《たい》した偉《えら》い宗匠《そうしやう》さんが用《もち》ひたといふ品《しな》でございます。主「ンー……。乞「これは私《わたくし》の大事《だいじ》な品《しな》でございまして、当時《いま》斯《か》う零落《おちぶ》れまして、値《ね》を高く買《か》はうといふ人がございますけれども、なか/\手離《てばな》しませぬで……。主「どうもマア、乞食《こじき》になつても砂張《すばり》の建水《みづこぼし》をすてないといふところは、真《しん》のお茶道人《ちやじん》でげすな、お流儀《りうぎ》は…乞「へい千家《せんけ》でございます。主「誰方《どなた》の御門人《ごもんじん》で……。乞「はい実《じつ》は……川上宗治《かはかみそうぢ》の弟子《でし》でございます。主「フーン……お姓名《なまへ》は聴《き》いても仰《おつし》やるまいね。乞「へい/\もう姓名《なまへ》を申《まう》すのは、お恥《はづ》かしうて申《まう》せませぬが、斯様《かやう》に御親切《ごしんせつ》に上《うへ》へ上《あ》げて、御飯《ごぜん》まで下《くだ》さる貴方様《あなたさま》のことでございますから、隠《かく》さず申上《まうしあ》げますが、私《わたくし》は芝片門前《しばかたもんぜん》に居《を》りました、神谷幸右衛門《かみやかうゑもん》でございます。主「へえー……何《な》にかえ、貴方《あなた》は神幸《かみかう》といふ立派《りつぱ》な御用達《ごようたし》で大《たい》したお生計《くらし》をなすつたお方《かた》か……えーまアどうも思《おも》ひ掛《が》けないことだねえ、貴方《あなた》の家宅《ところ》の三|畳《でふ》大目《だいめ》の、お数寄屋《すきや》が出来《でき》た時に、お席開《せきびら》きといふので、私《わたくし》もお招《まね》きに預《あづか》つたが、其時《そのとき》は是非《ぜひ》伊豆屋《いづや》さんなんぞと一|緒《しよ》に、参席《あが》る積《つも》りでございましたが、残念《ざんねん》な事には退引《のつぴ》きならぬ要事《よう》があつて、到頭《たうとう》参席《あが》りませぬでしたが……。乞「へい/\貴方《あなた》は誰方様《どなたさま》で……。主「私《わし》アお徒士町《かちまち》に居《を》つた、河内屋金兵衛《かはちやきんべゑ》でげすよ。乞「へえー……河内屋《かはちや》さん……エーまア道理《だうり》こそ、此砂張《このすばり》の建水《こぼし》がお目《め》に留《と》まるといふのは、余程《よほど》お嗜好者《すきしや》とは存《ぞん》じましたが……貴方《あなた》は河内屋《かはちや》さんでございましたか……思《おも》ひ掛《が》けないことで……。主「どうも誠に思ひ掛《が》けないことでお前《まへ》さんに邂逅《あひ》ました、未《ま》だお目《め》には掛《か》からなかつたが、今度《こんど》はお眤近《ちかづき》にならう……まア此時節《このじせつ》が変《かは》つて貴方《あなた》は斯《か》う御零落《ごれいらく》になつて、何《な》んとも云《い》ひやうがない、拙者《てまへ》はマアどうやら斯《か》うやら、斯《か》うやつて居《を》りますが本当《ほんたう》においとしいことだ……。妻「お噂《うはさ》には毎度《まいど》承《うけたま》はつて居《を》りましたよ、立派《りつぱ》なお住宅《すまひ》でお庭《には》は斯《か》う、何《なに》は斯《か》うと、能《よ》くまア、何《な》んでございますよ、名草屋《なくさや》の金《きん》七といふ道具屋《だうぐや》が参《まゐ》りまして始終《しじう》お噂《うはさ》でございますよ。乞「へい然《さ》うでございますか。主「まア/\おいとしいことでございます……時に一寸《ちよつと》お薄茶《うす》を上《あ》げやう鉄瓶点《てつびんだ》てゞ……コレ/\其棗《そのなつめ》で宜《い》い、出《で》て居《ゐ》るんで宜《い》いから持《も》つてお出《い》で……一|服《ぷく》鉄瓶点《てつびんだ》てゞ上《あ》げませう、茶は挽《ひ》きたてだけれども、何《ど》うも湯加減《ゆかげん》が悪いのでうまく出来《でき》ないが、一|服《ぷく》上《あ》げる。乞「どうも誠に有難《ありがた》うございます、私《わたくし》は最《も》う一|生涯《しやうがい》、お薄茶《うす》一|服《ぷく》でも戴《いたゞ》けることでないと、断念《あきら》めて居《を》りましたところが(泣声《なきごゑ》)鉄瓶点《てつびんだ》てゞ一|服《ぷく》下《くだ》さるとは……往昔《むかし》の友誼《よしみ》をお忘れなく御親切《ごしんせつ》に……私《わたくし》は最《も》う死んでも宜《よ》うございます。主「然《さ》う仰《おつし》やられては実《じつ》に胸が一|杯《ぱい》になります……お菓
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