す、どうか此処《こゝ》では話が出来ませんから、蔵の中でお話を致します、他《た》へ洩《も》れんようにお話をいたしたいから、一緒にお出《い》でを願います」
清「蔵の中でなくても此処《こゝ》でも宜《い》いじゃアありませんか」
丈「此処でも宜《よろ》しいが、奉公人に知れんようにしたい、娘も今年十八になるから、此の事を話せば病《やまい》にも障《さわ》ろうと思って、誠に不憫《ふびん》でござる、是非お話申したい事がございますから、どうか蔵の中へお出《い》で下さい」
清「参《めえ》りやしょう/\」
丈「どうか事《こと》静かに願います、決して逃げ匿《かく》れは致しません」
と云いながら先に立って蔵の戸をがら/\と開けて内へ入りましたから、清次は腹の中で思うに、春見は元《もと》侍だから刄物三昧《はものざんまい》でもされて、重二郎に怪我《けが》でもあってはならんと思いまして、煙草盆《たばこぼん》の火入れを火の入ったまゝ片手に提《さ》げ後《うしろ》へ隠して蔵の中へ入りましたから、重二郎も恐《おそ》る/\入りますと、春見は刀箪笥《かたなだんす》から刀を出し、此方《こちら》の箪笥から紋付の着物を出して、着物を着替え、毛布《けっと》を其処《そこ》へ敷き延べて、
丈「只今|申訳《もうしわけ》を致します」
と云って刄物を出したから、清次は切り付けるかと思い、覚悟をしていますと、春見は突然《いきなり》短刀を抜いて腹へ突き立ってがばりっと前へのめったから、清次は直《すぐ》に春見の側へ往《ゆ》こうと思ったが、此奴《こいつ》死んだふりをしたのではないかと思うゆえ、
清「言訳《いいわけ》をしようと思って腹を切んなすったかえ」
丈「さゝ人を殺し多くの金を奪い取った重罪の春見丈助、縲絏《なわめ》に掛っては、只今は廃刀《はいとう》の世なれども是まで捨てぬ刀の手前、申訳《もうしわけ》のため切腹しました、臨終《いまわ》の際《きわ》に重二郎殿、清次殿御両人に頼み置きたき事がござる、悪人の丈助ゆえ、お聞き済みがなければ止《や》むを得ざれど、お聞届《きゝとゞ》け下されば忝《かたじけ》ない、清次殿どうして貴殿《きでん》は僕が助右衞門殿を殺したことを御存じでござるな」
清「頼みと云うのはどう云う事か知れねえが、其の頼みによっては又旦那に話して聞きもしようが、言訳《いいわけ》に困って腹を切るのは昔のことだが、どうもお前さんは太い人だねえ、清水の旦那を殺し、又作という奴に悪智《あくち》を授《さず》けて、屍骸《しがい》を旅荷に造り、佐野の在へ持って往《ゆ》き、始末をつけようとする途中、古河の人力車夫に嗅《か》ぎ付けられ、沼縁《ぬまべり》へ持って往《い》って火葬にした事は、私《わっち》ゃア能《よ》く知ってるぜ」
丈「さゝゝそれがさ、天命とは云いながら、知れ難《がた》い事を御存じあるのは誠に不思議でござるて」
清「その又作という奴が、三千円の証書をもっているから、又作を殺して、それを取ろうとする謀計《たくみ》の罠《わな》を知って、実はお前さんが又作を縊《くび》り殺し、火を放《つ》けて逃げた時、其の隣の明店《あきだな》で始末を残らず聞いていたのだ、何《な》んと悪い事は出来ねえものだねえ」
丈「どうも左《さ》もなくば知れる道理はござらぬが、それが知れると云うのは天命|遁《のが》れ難《がた》い訳でござる」
清「その又作が火葬にして沼の中へ放り込んだ白骨を捜し出すか、出る所へ出るか、二つに一つの掛合《かけあい》に来たのに、腹を切って私《わっち》に頼むと云うのは一体どういう頼みですえ」
丈「さればでござる、御存じの通りいさと申す手前一人の娘が、如何《いか》なる悪縁か重二郎殿を思い初《そ》めましたを、重二郎殿が親の許さぬ淫奔《いたずら》は出来ぬと仰《おっ》しゃったから、一|室《ま》にのみ引籠《ひきこも》り、只くよ/\と思い焦《こが》れて遂《つい》に重き病気になり、病臥《やみふ》して居ります、斯《かゝ》る次第ゆえ、此の始末を娘が聞知《きゝし》る時は、憂《うれい》に迫《せま》り病《やまい》重《おも》って相果《あいは》てるか、願《ねがい》の成らぬに力を落し、自害をいたすも知れざるゆえ、何卒《どうぞ》此の事ばかりは娘へ内聞《ないぶん》にして下さらば、手前の此の身代は重二郎殿へ残らず差上げます、これ此の身代は助右衞門殿の三千円の金から成立《なりた》ったものなれば、取りも直さず、皆助右衞門殿が遺《のこ》された財産で、重二郎殿が所有たるべきものでござる、諸方へ貸付けてある金子の書類は此の箪笥《たんす》の引出《ひきだし》にあって、娘いさが残らず心得て居ります、敵《かたき》同志の此の家《うち》の跡を続《つ》ぐのはお厭《いや》であろうが重二郎殿、我《わが》なき後《のち》は他《た》に便《たよ》りなき娘のおいさを何とぞ不憫《ふびん》と思召《おぼしめ》され、女房《にょうぼ》に持ってはくださるまいか、いやさ敵同志の丈助の娘を女房に持たれまいが、さゝ御尤《ごもっと》もでござるが彼《かれ》は我《わが》実子《じっし》にあらず、我《わが》剣道の師にて元前橋侯の御指南番《ごしなんばん》たりし、荒木左膳《あらきさぜん》と申す者の娘の子なり」
清「ふう、それを何うしてお前さんの娘にはしなすったえ」
丈「さゝ其の仔細お聞き下され」
と苦しき息をつきまして、
丈「今を去ること十九年以前、左膳の娘|花《はな》なる者が、奥向《おくむき》へ御奉公中、先《せん》殿様のお手が付き懐妊の身となりしが、其の頃お上通《かみどお》りのお腹様《はらさま》嫉妬深《しっとふか》く、お花を悪《にく》み、遂《つい》に咎《とが》なき左膳親子は放逐《ほうちく》を仰付《おおせつ》けられ、浪々中《ろう/\ちゅう》お花は十月《とつき》の日を重ね、産落《うみおと》したは女の子、母のお花は産後の悩みによって間もなく歿《ぼっ》せしため、跡に残りし荒木左膳が老体ながらも御主君《ごしゅくん》のお胤《たね》と大事にかけて養育なせしが、其の後《ご》左膳も病に臥《ふ》し、死する臨終《いまわ》に我《われ》を枕元に招き、我《わ》が亡《な》き跡にて此の孫を其の方《ほう》の娘となし、成長の後《のち》身柄《みがら》ある家《いえ》へ縁付《えんづ》けくれ、頼む、と我師《わがし》の遺言《ゆいごん》、それよりいさを養女となせしが、娘と申せど主君のお胤なれば、何とぞ華族へ縁付けたく、それに付《つい》ても金力《きんりょく》なければ事|叶《かな》わずと存ぜしゆえ、是まで種々《しゅ/″\》の商法を営《いとな》みしも、慣れぬ事とて皆《み》な仕損じ、七年|前《ぜん》に佐久間町へ旅人宿《りょじんやど》を開《ひら》きし折《おり》、これ重二郎殿、君《きみ》の親御《おやご》助右衞門殿が尋ね来て、用心のため預けられた三千円の金を見るより、あゝ此の金があったなら我望《わがのぞみ》の叶う事もあらんと、そゞろに発《おこ》りし悪心より人を殺した天罰覿面《てんばつてきめん》、斯《かゝ》る最後を遂《と》げるというも自業自得《じごうじとく》、我身《わがみ》は却《かえ》って快《こゝろよ》きも、只|不憫《ふびん》な事は娘なり、血縁にあらねば重二郎どの、女房に持ってくださらば心のこさず臨終《りんじゅう》いたす、お聞済《きゝずみ》くだされ」
と血に塗《まみ》れたる両手を合《あわ》せ、涙ながらに頼みます恩愛の情《じょう》の切《せつ》なるに、重二郎と清次と顔を見合わせて暫《しばら》く黙然《もくねん》といたして居りますと、蔵の外より娘のおいさが、網戸を叩《たゝ》きまして、
い「申し、清次さん、此所《こゝ》開《あ》けて下さいまし」
清「おゝ誰だえ」
い「はい、いさでござります、どうぞ開けて、死目《しにめ》に一度逢わせてください」
というから、清次は慌てゝ戸を開けますと、おいさは転《ころ》げ込んで父の膝に縋《すが》り付き、泣倒《なきたお》れまして、
い「もうしお父様《とっさま》、お情《なさけ》ない事になりました、生《うみ》の親より深い御恩を受けました上、斯《こ》ういう事になりましたも皆《み》な私《わたくし》を思召《おぼしめ》しての事でございますから、皆様《みなさん》どうぞ代りに私を殺して、お父様をお助けなされて下さいまし」
と嘆《なげ》く娘を丈助は押留《おしとゞ》め。
丈「あゝこれ、お前を殺すくらいなら、彼《あ》の様《よう》な悪い事はいたさぬわい、只今も願う如く、予《かね》てお前の望みの通り重二郎殿と末長《すえなご》う夫婦になって、我が亡後《なきあと》の追善供養《ついぜんくよう》を頼みます、申し御両君《ごりょうくん》如何《いかゞ》でございます[#「ございます」は底本では「ごいざます」と誤記]」
清「ふう、どうして重二郎さんに此の家《や》の相続が出来ますものかね」
重「それに貴方《あなた》が変死した後《あと》で、お上《かみ》への届けもむずかしゅうござりましょう」
丈「その御心配には及びませぬ、と申すは七ヶ年以前、貴君《あなた》の親御より十万円|恩借《おんしゃく》ありて、今年返済の期限|来《きた》り、万一延滞|候《そろ》節は所有地|家蔵《いえくら》を娘|諸共《もろとも》、貴殿へ差上候《さしあげそろ》と申す文面の証書を認《したゝ》めて、残し置き、拙者《せっしゃ》は返金に差迫《さしせま》り、発狂して切腹致せしとお届けあらば、貴殿《きでん》へ御難義《ごなんぎ》はかゝりますまい」
と云いながら硯箱《すゞりばこ》を引寄《ひきよ》せますゆえ、おいさは泣々《なく/\》蓋《ふた》を取り、泪《なみだ》に墨を磨《す》り流せば、手負《ておい》なれども気丈《きじょう》の丈助、金十万円の借用証書を認めて、印紙《いんし》を貼《は》って、実印《じついん》を捺《お》し、ほッ/\/\と息をつき、
丈「臨終《りんじゅう》の願いに清次殿、お媒人《なこうど》となって、おいさと重二郎どのに婚礼の三々九度、此所《こゝ》で」
と云う声もだん/\と細くなりますゆえ、二人も不憫《ふびん》に思い、蔵前《くらまえ》の座敷に有合《ありあ》う違棚《ちがいだな》の葡萄酒《ぶどうしゅ》とコップを取出して、両人《ふたり》の前へ差出《さしだ》せば、涙ながらにおいさが飲んで重二郎へ献《さ》しまするを見て、丈助は悦《よろこ》び、にやりと笑いながら。
丈「跡方《あとかた》は清次どのお頼み申す早く此の場をお引取《ひきと》りなされ」
と云いつゝ短刀を右手の肋《あばら》へ引き廻せば、おいさは取付《とりつ》き嘆《なげ》きましたが、丈助は立派に咽喉《のど》を掻切《かきき》り、相果てました。それより早々《そう/\》其の筋へ届けますと、証書もありますから、跡方《あとかた》は障《さわ》りなく春見の身代は清水重二郎所有となり、前橋竪町の清水の家を起しましたゆえ、母は悦《よろこ》びて眼病も全快致しましたは、皆《み》な天民の作の観音と薬師如来の利益《りやく》であろうと、親子三人夢に夢を見たような心地《こゝち》で、其の悦び一方《ひとかた》ならず、おいさを表向《おもてむき》に重二郎の嫁に致し、江戸屋の清次とは親類の縁《えん》を結ぶため、重二郎の姉おまきを嫁に遣《や》って、鉄砲洲新湊町へ材木|店《みせ》を開《ひら》かせ、両家ともに富み栄え、目出たい事のみ打続《うちつゞ》きましたが、是というも重二郎|同胞《はらから》が孝行の徳により、天が清次の如き義気《ぎき》ある人を導いて助けしめ、遂《つい》に悪人|亡《ほろ》びて善人栄えると申す段切《だんぎり》に至りましたので、聊《いさゝ》か勧善懲悪の趣意にも叶《かな》いましょうと存じ、長らく弁じまして、嘸《さぞ》かし御退屈でござりましたろうが、此の埋合《うめあわ》せには、又其の内に極《ごく》面白いお話をお聞《きゝ》に入れる積《つも》りでござりますれば、相変らず御贔屓《ごひいき》を願い上げます。
(拠若林※[#「※」は「王へん+甘」、読みは「かん」、第4水準2−80−65、590−6]藏、伊藤新太郎筆記)[#地付き、地より1字アキ]
底本:「圓朝全集 巻の九」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1964
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