西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)御免を蒙《こうむ》りまして

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)西洋|人情噺《にんじょうばなし》と

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(例)ふらふ[#「ふらふ」に傍点]が立って居ります

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)へい/\
   かた/″\(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)
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     一

 御免を蒙《こうむ》りまして申上げますお話は、西洋|人情噺《にんじょうばなし》と表題を致しまして、英国《えいこく》の孝子《こうし》ジョージ、スミスの伝、これを引続いて申上げます。外国《あちら》のお話ではどうも些《ち》と私《わたくし》の方にも出来かねます。又お客様方にお分り難《にく》いことが有りますから、地名人名を日本《にほん》にしてお話を致します。英国のリバプールと申しまする処で、英国《いぎりす》の竜動《ろんどん》より三時間で往復の出来る処、日本《にっぽん》で云えば横浜のような繁昌《はんじょう》な港で、東京《とうけい》で申せば霊岸島《れいがんじま》鉄砲洲《てっぽうず》などの模様だと申すことで、その世界に致してお話をします。スマイル、スミスと申しまする人は、彼国《あちら》で蒸汽の船長でございます。これを上州《じょうしゅう》前橋《まえばし》竪町《たつまち》の御用達《ごようたし》で清水助右衞門《しみずすけえもん》と直してお話を致します。其の子ジョージ、スミスを清水|重二郎《じゅうじろう》という名前に致しまして、其の姉のマアリーをおまきと云います。エドワルド、セビルという侠客《おとこだて》がございますが、これを江戸屋《えどや》の清次郎《せいじろう》という屋根屋の棟梁《とうりょう》で、侠気《おとこぎ》な人が有ったというお話にします。又|外国《あちら》では原語でございますとジョン、ハミールトンという人が、ナタンブノルという朋友《ともだち》の同類と、かのスマイル、スミスを打殺《うちころ》しまして莫大《ばくだい》の金を取ります。このナタンブノルを井生森又作《いぶもりまたさく》と致しジョン、ハミールトンを前橋の重役で千二百石取りました春見丈助利秋《はるみじょうすけとしあき》という者にいたしてお話を此方《こちら》のことに直しましただけの事で、原書をお読み遊ばした方は御存じのことでございましょうが、これは或る洋学先生が私《わたくし》に口移しに教えて下すったお話を日本《にほん》の名前にしてお和《やわら》かなお話にいたしました。そのおつもりでお聴きの程を願います。徳川家が瓦解《がかい》になって、明治|四五年《しごねん》の頃|大分《だいぶ》宿屋が出来ましたが、外神田松永町《そとかんだまつながちょう》佐久間町《さくまちょう》あの辺には其の頃大きな宿屋の出来ましたことでございますが、其の中に春見屋《はるみや》という宿屋を出しましたのが春見丈助という者で、表構《おもてがまえ》は宏高《こうこう》といたして、奥蔵《おくぐら》があって、奉公人も大勢使い、実に大《たい》した暮しをして居ります。娘が一人有って、名をおいさと申します。これはあちらではエリザと申しまするのでお聞分《きゝわけ》を願います。十二歳になって至って親孝行な者で、その娘を相手にして春見丈助は色々の事に手出しを致したが、皆|失敗《しくじ》って損ばかりいたし、漸《ようよ》うに金策を致して山師《やまし》で威《おど》した宿屋、実に危《あぶな》い身代で、お客がなければ借財方《しゃくざいかた》からは責められまするし、月給を遣《や》らぬから奉公人は暇《いとま》を取って出ます、終《つい》にはお客をすることも出来ません、適《たま》にお客があれば機繰《からくり》の身上《しんしょう》ゆえ、客から預かる荷物を質入《しちいれ》にしたり、借財方に持って行《ゆ》かれますような事でございますから、客がぱったり来ません。丁度十月二日のことでございます。歳はゆかぬが十二になるおいさという娘が、親父《おやじ》の身代《しんだい》を案じましてくよ/\と病気になりましたが、医者を呼びたいと思いましても、診察料も薬礼《やくれい》も有りませんから、良《い》い医者は来て呉れません。幸い貯えて有りました烏犀角《うさいかく》を春見が頻《しきり》に定木《じょうぎ》の上で削って居ります所へ、夕景に這入《はい》って来ました男は、矢張《やはり》前橋侯の藩で極《ごく》下役でございます、井生森又作という三十五歳に相成《あいな》りましてもいまだ身上《みのうえ》が定《さだま》らず、怪しい形《なり》で柳川紬《やながわつむぎ》の袷《あわせ》一枚で下にはシャツを着て居りますが、羽織も黒といえば体《てい》が好《い》いけれども、紋の所が黒くなって、黒い所は赤くなって居りますから、黒紋の赤羽織といういやな羽織をまして[#「まして」は「きまして」の誤記か]兵児帯《へこおび》は縮緬《ちりめん》かと思うと縮緬呉絽《ちりめんごろう》で、元は白かったが段々鼠色になったのをしめ着て、少し前歯の減った下駄に、おまけに前鼻緒《まえばなお》が緩《ゆる》んで居りますから、親指で蝮《まむし》を拵《こしら》えて穿《は》き土間から奥の方へ這入って来ました。
又「誠に暫《しばら》く」
丈「いや、これは珍らしい」
又「誠に存外の御無音《ごぶいん》」
丈「これはどうも」
又「一寸《ちょっと》伺《うかゞ》わなけりゃならんのだが、少し仔細《しさい》有って信州へ行って居りましたが、長野県では大《おお》きに何も彼《か》もぐれはまに相成って、致し方なく、東京までは帰って来たが、致方《いたしかた》がないから下谷金杉《したやかなすぎ》の島田久左衞門《しまだきゅうざえもん》という者の宅に居候《いそうろう》の身の上、尊君《そんくん》にお目に懸《かゝ》りたいと思って居て、今日《きょう》図《はか》らず尋ね当りましたが、どうも大《たい》した御身代で、お嬢様も御壮健でございますか」
丈「はい、丈夫でいるよ、貴公もよく来てくれたなア」
又「いやどうも、成程これだけの構えでは奉公人なども大勢置かんならんねえ」
丈「いや奉公人も大勢置いたが、宿屋もあわんから奉公人には暇《いとま》を出して、身上《しんしょう》を仕舞おうと思って居《い》るのさ」
又「はてね、どういう訳で」
丈「さア色々仔細有って、実に負債《ふさい》でな、どうも身代が追付《おっつ》かぬ、先《ま》ずどうあっても身代限《しんだいかぎり》をしなければならぬが、身代限をしても追付かぬことがある」
又「そりゃア困りましたな、就《つい》ちゃア僕がそれ君にお預け申した百金は即刻御返金を願いたい、直《すぐ》に返しておくんなさえ」
丈「百円今こゝには無い」
又「無いと云っては困ります、僕が君に欺《あざむ》かれた訳ではあるまいが、これをこうすればあゝなる、この機械を斯《こ》うすれば斯ういう銭儲《ぜにもう》けがあると、貴君《きくん》の仰《おっし》ゃり方が実《まこと》しやかで、誠に智慧《ちえ》のある方の云うことだから、間違いはなかろうと思って、懇意の所から色々才覚をして出した所が目的が外《はず》れてしまって仕方がないが、百円の処は、是だけは君がどうしても返して呉れなければ、僕の命の綱で、只今|斯《か》くの如き見る影もない食客《しょっかく》の身分だから、どうかお察し下さい」
丈「返して呉れと云っても仕方がないわ、それに此の節は勧解沙汰《かんかいざた》[#「勧解」に欄外校注:裁判官が説諭して示談にせしむること]が三件もあり、裁判所沙汰が二件もあるし、それに控訴もあるような始末だから、何と云っても仕方がない」
又「裁判沙汰が十《とお》有ろうが八つ有ろうが、僕の知ったことではない、相済まぬけれども是だけの構えを一寸《ちょっと》見ても大《たい》したものだ、それに外を廻って見ても、又座敷で一寸茶を入れるにも、それその銀瓶《ぎんびん》があって、其の他《ほか》、諸道具といい大した財産だ、あの百金は僕の命の綱、これがなければ何《ど》うにも斯《こ》うにも方《ほう》が付かぬ、君の都合は僕は知らないから、此の品を売却しても御返金を願う」
丈「この道具も皆抵当になっているから仕方がないわさ」
又「御返金がならなければ止《や》むを得んから、旧来御懇意の君でも勧解《かんかい》へ持出さなければならぬが、どうも君を被告にして僕が願立《ねがいた》てるというのは甚《はなは》だ旧友の誼《よし》みに悖《もと》るから、したくはないが、拠《よんどころ》ない訳だ」
丈「今と云っても仕方が無いと申すに」
又「はて、是非とも御返金を願う」
 と云って坐り込んで、又作も今|身代限《しんだいかぎ》りになる訳でいると云うから、身代限りにならぬうちに百円取ろうとする。春見は困り果てゝ居ります所へ入って来ましたのは、前橋竪町の御用達の清水助右衞門という豪家《ごうか》でございます。此の人も色々|遣《や》り損《そこ》なって損《そん》をいたして居りますが、漸々《よう/\》金策を致しまして三千円持って仕入れに参りまして、春見屋へ来まして。
助「はい、御免なさいまし、御免下さいまし」
丈「どなたか知らぬが、用があるならずっと此方《こっち》へ這入っておくんなさい」
助「御免を蒙《こうむ》ります、誠に御無沙汰しました、助右衞門でございます」
丈「おゝ/\、どうもこれはなつかしい、久々で逢った、まア/\此方《こっち》へ、いつも壮健で」
助「誠に存外御無沙汰致しましたが、貴方様《あなたさま》にも何時《いつ》もお変りなく、一寸《ちょっと》伺いたく思いやすが、何分にも些《ち》と訳あって取紛《とりまぎ》れまして御無沙汰致しましたが、段々承れば宿屋店《やどやみせ》をお出しなすったそうで、世界も変れば変るもので、春見様が宿屋になって泊り客の草履《ぞうり》をお直しなさるような事になって、誠にお傷《いた》わしいことだ、それを思えば助右衞門などは何をしても好《い》い訳だと思って、忰《せがれ》や娘に意見を申して居ります、旦那様もお身形《みなり》が変りお見違《みち》げえ申す様《よう》になりました、誠にまアあんたもおふけなさいました」
丈「こう云う訳になって致方《いたしかた》がない、前橋の方も尋ねたいと思って居たが、何分貧乏暇なしで御無沙汰になった、よく来た、どうして出て来たのだ」
助「はい、私《わし》も人に損を掛けられて仕様がねい、何かすべいと思っていると、段々聞けば県庁が前橋へ引けるという評判だから、此所《こゝ》で取付《とりつ》かなければなんねいから、洋物屋《ようぶつや》をすれば、前には唐物屋《とうぶつや》と云ったが今では洋物屋と申しますそうでござりやすが、屹度《きっと》当るという人が有りますから、此処《こゝ》で一息《ひといき》吹返《ふきかえ》さなければなんねいと思って、田地《でんじ》からそれにまア御案内の古くはなったが、土蔵を抵当にしまして、漸々《よう/\》のことで利の食う金を借りて、三千円|資本《もとで》を持って出て参ったでがんすから、宿屋へ此の金を預けて仕入《しいれ》をするのだが、滅多に来《き》ねえから、馴染《なじみ》もねえ所へ預けるのも心配《しんぺえ》だから、身代の手堅い処がと、段々|考《かんげ》えたところが、春見様が宿屋店《やどやみせ》を出しておいでなさると云うから、買出《かいだ》しするにも安心と考《かんげ》えてまいりました、当分買出しに行《ゆ》きますまで、どうか御面倒でも三千円お預かり下さるように願います」
丈「成程左様か」
 と話をしていると、井生森又作は如才《じょさい》ない狡猾《こうかつ》な男でございますから、是だけの宿屋に番頭も何もいないで、貧乏だと悟られて、三千円の金を持って帰られてはいけないと思って、横着者《おうちゃくもの》でございますから直《す》ぐに羽織を脱いでそれへ出てまいり。
又「お初にお目に懸りました、手前は当家の番頭又作と申すもので
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